2021年4月30日金曜日

動いて、立ち止まる、そしてまた動く

 つながりの中で、生かして頂いてありがとうございます
 
様々な物事に「意味」を見出そうとするのは
勝手な解釈をしていることなのかもしれない
しかし同時に、「意味」を与える「創造」でもある
 
一方で、
その「意味」が絶対的なものではないことを
心に留めておくことも大切
 
絶対的なものではないからこそ
変化していく
自らの意識の成長に伴って
変わっていく
 
 
考えて整理されてからでないと動けないのは
もったいないことかもしれない
そもそも「意味」は
自分が与えるものなのだから
 
トライ&エラーで動きながらやってみる
 
やってみて
初めて見えてくる世界がある
 
一歩ずつ進んだからこそ
わかることがある
 
 
今朝は
短い「瞑想」の時間だったけれど
どんどんやってみようという
気持ちが湧いてきている
 
そして時々立ち止まって
また、この対話の場に戻ってこよう
 
一日一回じゃないといけないわけじゃない
 
動いてみて、立ち止まる
そして、また動く
何回でもこの時間を持っていいんだ
 
さあ今日も
新しい一日を歩みだそう

2021年4月29日木曜日

3歩進んで2歩さがる

つながり関わりの中で生かされている実感がない
意識を切り替えて認識する
感謝の四方拝
 
長年の感覚を
急に切り替えることはできないけれども
毎日のこうした取り組みが
徐々に意識の切り替えに役に立ってくれればいい
 
それだけでも大きな意味がある
つながりの中で生かされている感覚が湧いてきた
 
感謝の四方拝を終え、瞑想(対話)に入る
 
指の先がじわっと気の流れを感じている
「いま」に全てが集約されている
 
始めた時の
「恨みや悲しみ苦しみの情念をなんとかしなきゃ」
という切迫した思いは和らいできた
 
全てに意味があり
私自身の歩みが問われる
「私」が、喜びに生き、幸せに生きることが、何よりも大切
 
その「私」は
個として分断された私ではなく
全宇宙であり全次元である
 
「普通」の人、障害を持つ人、
犯罪を犯す人、心の苦しみに苛まされている人・・・
みんな完璧である
完全である
 
ちゃんと機能している
 
心が苦しいから守ろうとする
 
他の人とは異なる、大きな制約の中で生きることを選択
 
意識を絞っているから
全体をとらえた判断や行動にならないのかもしれないが
その中でしか味わえないことも沢山ある
 
 
イザナギとイザナミが
大海に棹さして
日本の国を生み出したように
人もまたエネルギーの渦の中から生まれてきた 
 
宇宙の中心から流れてくるエネルギーと
大地の中心・地球の中心から流れてくるエネルギーを感じる時
全身が震えるようなゾワっとした感覚
しかしまた
それも自分の中で起こっていることだ、
と思うと不思議な感じになる
 
 
善意で生きていこう
そう決めた昨日の思いが
もうすでに曖昧になっている
 
だからこそ
定期的にこうして確認することは
とても意味がある
 
こうしたいと思ったことが
すぐに定着するわけではない
魂に刻み込まれるまで
繰り返し意識していこう
 
そして
動いていく中で
新しく見えてくることもある
軌道の修正が必要になることもある
 
一見、誤った道であっても
真剣に取り組めば
修正の気づきが生まれるし
極めれば通ずる
  
踏み出して、歩み出せ


2021年4月28日水曜日

幸せのダイナミクス

 ●感謝の四方拝
 
朝起きて感謝の時間を持つ際に
四方拝をする時に、
カラダも心も、
「切り離された自分」「個体としての自分」の意識で動き出す
 
意識を切り替えないと
「つながりの中で生かされていること」
に入り込めない
 
まだ自分の中に定着してない
 
しかし、感謝の四方拝を形式だけにしたくない
 
こうした思考の動きがあって、
始めるまでに、少し時間が掛かった
 
つながりの中で生かしていただいていることへの感謝
拝しているけれど
どちらが上とか下とか、そういう関係ではない
ありがとうの感謝の気持ちを
心から伝えるための取り組み
 
どこかで読んだ
お坊さんと仏像が互いにお互いを拝し合ったエピソード
が浮かんできた 
 
●感謝の瞑想(祈り=対話)
 
今日はなかなか上手く入り込めない
 
「思索」「瞑想」「祈り=対話」
本来違うものが、ごっちゃになっていた
 
この時間は瞑想というより祈りの時間
潜在意識(もう一人の私)と顕在意識(自覚的な私)の対話の時間
 
どうやら、私はその入り口として
体の力を抜いてカラダを感じる瞑想
を使っていたようだ
 
しかしはっきりと自覚していなかったので
そこに思索が入り込んでくることも少なくなかった
それは瞑想でいうならば、雑念でしかない
 
そういうことに気づけたことは、
今日の収穫のひとつかもしれない
 
 
さてここから、
潜在意識=もう一人の私との対話の時間に入ろう
と思ったけれど、
今日はなかなかアクセスしにくい
 
昨日の「エネルギー密度の濃いところに、魂の雫が入ったイメージ」は役に立った
 
指先への血流の流れ、
少しジンジンするような感覚が
自分のカラダという境界を曖昧なものにして
自分のカラダの外まで繋がってるような感じ
 
 
救いというのはね
あなた自身の人生の歩みが
救われることなんだよ
 
苦しみ悲しみが無くなることじゃない
辛いことや悔しいことが無くなることじゃない
 
それらの経験があったからこそ
見えてくる景色があり
ネガティブに見える経験が自らを育むことに
感謝できる生きざま
 
あなたの中に全てがあるから
あなたが救われることは
世界が、宇宙が救われること
 
そして、そういう人が増えていくと
救われた小宇宙の重なりによって
宇宙全体が次元を越えて救われていく
 
救いという表現は、しっくりこないね
それは、幸せのダイナミクス
苦しみ悲しみも含めて大きなうねりと変化の中で
幸せを感じ噛み締め味わうこと 静的な状態じゃなくて
常に変化の動きの中にある
 
 
四季の大きな波のように
苦しみや悲しみを感じやすい時期と
喜びや幸せを感じやすい時期の
周期があるのかもしれない
 
九星などの占術も
こうした考え方なのかもしれない
 

朝のこの時間はとても充実してて素晴らしいが、
日常の自分自身の行動を振り返ると
分断された個としての意識の中に
どっぷりと浸かっている
 
心の奥深くの本心の声に耳を傾けず、
行動レベルでは、
無自覚にどうでもいいことに逃げてばかりいる
 
それをいくら繰り返しても現実は変わらない
ただただ時間ばかりが浪費されていく
 
数日前に出会った「自己分化」の概念は
「無自覚の自覚化」「無意識の意識化」
と呼んでいたものに近いのかもしれない
完全にその「罠」に陥っている
 
あなたはどうしたいのか
 
何をどうするかばかりを探求していた
行動レベルを追いかけていたので
なかなか見えてこなかった
 
「利他と利己」に「善意と悪意」のラベルを付けてみよう
そして、
「利他」=相手への善意を持って選択した行動なのか、
ここを判断基準にすればいい
稲盛和夫さんの「動機善なりや、私心なかりしか」が浮かんできた
 
これまで何をやろうかと思いモヤモヤしていたが 
行動の判断基準の軸が定まればあとはやるだけ
 
 
感謝の四方拝で、想いと行為の試行錯誤してきたように、
「こうしたい」と強く思うことはあっても
思考レベルでの取り組みを継続すると、
やがて形骸化してしまう
 
それが魂レベルにまで刻み込まれないと、
自分の行動指針・基準にはならない
 
一気には難しいかもしれないが
魂レベルに刻んで、行動していこう!
 
---
表層意識のキャッシュメモリは容量が小さいので
あまりたくさんのことを記憶に残しておくことはできない
今日はこの辺りまでにしておこう

2021年4月27日火曜日

自己の境界が内側から消えていく

 つながりの中に生かして頂いてありがとうございます 
 
朝起きぬけの意識の焦点を切り替えて臨む
 
ということは、繋がりの中に活かされていることが
自分の中で「当たり前」になっていないということ
まだ、思考のレベルで切り替えようとしている
 
一方で、「当たり前」のレベルに定着させて、
固めてしまうのも違う
次に移ることを難しくしてしまうから
 
固定しないで、すべてを流動的に「保留」して生きていくことは
この世では生き辛い
 
そんな思考がおぼろげに頭の中を巡って、瞑想に入った
 
 
自己の境界が内側から消えていく
これは初めての感覚かもしれない
すべてとつながっていく
すべてを感じることができるような感覚
 
聖書などに記されている
「人は塵芥から作られてた」「土くれを集めて作られた」
その意味は、
霊的な見えないエネルギーだけでなく
細菌などとても微細なものも含めて、
全てのつながりの中から生み出された
ということなのかもしれない
 
おぼろげで不確かで、
周囲よりも密度の濃い集合体に
意識の断片が
しずくのように入っていく
「ヒト」が「個」として動き出す
 
 
仏教の菩薩界、○○界という界の階層は、
意識の発達段階を表しているのかもしれない
阿頼耶識とマナ識、潜在意識と顕在意識
自己分化
 
人の知恵は言葉を変えて
グルグル巡って同じことを表現している
 
時空のつながりのすべての諸相は、
「今ここ」に展開している
「今ここ」のつながりの中に、
「私」が向き合うべきすべてがある

恨みを解くことも、
喜怒哀楽を堪能することも
人生を味わおう
 
自然と手を合わせて合掌している
ありがとうございます!
 
----
巡った様々な意識の流れは、
とても微細で消えていきそうだ・・・
 
もう一度、顕在意識で認識し直して、
言葉に表現するのは、なかなかうまくできない
骨が折れる

2021年4月26日月曜日

無限の世界、夢幻の世界

 ●四方拝
1分程度の動作だけれども
原点に帰るルーティーンになっていて
いきなり瞑想に入るより
深みに至ることができる
 
全てのつながりに感謝を捧げることは
自分自身のこれまでの全ての歩みに
感謝を捧げること
 
様々な力でここまで、生かされてきた
生かしていただいて、ありがとうございます
 
●瞑想
ありがとうございます
全てを緩めて体を感じることに意識を向ける
 
そこから、自分の中のもう一人の私と対話へ向かう
 
もうひとりの私は、全てと繋がっている
Weであり、朕であり、宇宙であり、全てを内包している

  
水木しげるが浮かんできた
彼にとって、妖怪などの異次元の存在は
全て実在のリアルなものだったんだろうと感じた
 
戦争体験で、生死の境を潜り抜け
そこでの様々な出来事、想い、人間模様
そこに渦巻く様々な感情
肉体がなくなっても残る情念、
生きることそのものから感じてきた実感
 
水木しげるの歩みは、
そうしたものを真摯に受け止め
昇華していくためのものだったのかもしれない
 
感謝と慈しみの思いで、地球のイメージを抱きながら
とても近いものを感じた
 
 
宇宙に意識を広げる
誰もいない、何もいない
この世界は
分断された個として
意識をして行くと何も見えない
 
内在神の世界なので
全てが自分自身
全てと自己が同一化している
 
分断された自己の世界では
周囲の目はとても気になるけれども
実は、私のことを周囲の人は、
それほど気にしてはいない
みんな自分のことで精一杯だから
 
第1層の意識世界の存在は
自分のことで精一杯なので
意識のエネルギーは自分の中を満たしていく
それが怒りや悲しみ恨みなどの苦しみに繋がっていく
 
第2層の意識世界に到達した存在だけが
大きな慈愛、慈しみをもって関わってくれる
偏った基準で評価・判断することはない
 
1つの個を
内在神を宿す小宇宙として
その価値をしっかりと受け止めながら
関わってくれる
 
そしてそのエネルギーが
第2層の人たちの意識の広がりの中を満たす
だから、
第2層の意識世界に到達した存在が増えれば増えるほど
宇宙は慈愛に満ちて行く
 
 
もう一人の私は無限の存在
私が望んでチャンネルを合わせれば
いつでも話ができる、対話ができる
 
しかし私は
この現実世界の
目の前の現実に意識を奪われて
広い無限=夢幻の世界のことに
関心を向けることができない
 
いつでも話に来ていいよと言ってもらうけれど
今の私には
目の前の現実が大きく写っているのだろう
 
やらなければならないことが
意識を占めてしまう 
 
そんな中でも今日は無限の世界を感じる時間をもてた
 
別の次元に、別の生命体のグループの世界も感じさせてもらった
未知の世界で、ちょっとドキッとしたけど、
今回は、存在を感じるだけで、触れずに通り過ぎた
 
とても楽しい時間だったし
新たな気づきや発見もたくさんあった
 
ずっとここで知見を広げていきたい思いもあるけれど
今日はこのあたりにしておこう
 
瞑想終えて、時計を見たら
いつも以上に時間が経っていた

2021年4月25日日曜日

糞掃衣のお坊さん

意識を切り替えて感謝を捧げるのではない
湧いてくる感謝を言葉にすること
人体の細胞30~40兆、そしてそれ以上の常在菌
それらのすべてが働いてくれて今の私が存在する
内と外の複雑で精緻で 微細な関わりの中に今の私が存在する
関わりの中に存在させて頂いて、生かして頂いてありがとうございます
 
感謝の瞑想は、
自らが感じていることを感じる瞑想となり
自らの内なるもう一人の私との対話の時間となった
それは祈りであり、内在神との対話である
 
私の中には糞掃衣を纏ったお坊さんがいる
本質を大切にして、虚飾を嫌い、心の働きに意識を向けている
一休禅師のようでもあり、良寛和尚のようでもある
 
私はそのお坊さんのあり方に、深い敬意と帰依の思いを抱く
一方で、現実世界で生きていくためにバランスを図ろうと
そのお坊さんのあり方に葛藤してもいる
 
しかしまた、そんな私も
現代社会のお金の制度を信頼できないでいる
根拠のない印刷された紙に過ぎないものに
国家の信用によって価値を付与している
その国家の信用自体がとても危うい
 
それに、
お金があっても
よりよい地球をつくるためにどのように使われるのがいいのか
何に使うのか
私の中で、明確ではない
だからまだ、お金があることの必要を感じていない
必要になったら必ず入ってくる
 
しかし今はまだビジョンがない
必要性を感じていない
だからおそらく
お金を稼ぐことに強烈なブレーキをかけている自分自身がいる
 
地球を抱いて、より生きやすい、住みやすい世界にしていきたいという思い
喜びと笑顔が溢れるというよりも
いろんな困難苦難があったとしても
そこに意味を見出し、自らの成長に繋いでいって
よかったと思える世界を作っていきたい
 
そのために意識の成長に取り組んでいく
 
人間力を高めていくことを支援する
 
 
学士様が農村に行って、
農村の常識をあたかも自らの新発見であるかのように
学会に発表していく
ヨーロッパ人が、南北のアメリカ大陸に到達し
「新大陸の発見」と表現するのに似ている
 
自らの狭いフィールドの中にフレームを作って、
そこに外の世界のものを持ち込む
そこにどんな価値があるのか理解に苦しむが、
高い評価をえてきたことは間違いない 
 
そんな社会のあり方の中に、
自らを同化させることはしたくはない
 
私の中の糞掃衣のお坊さんはそう言う
 
 
対話の中で、深い情報が流れ込んで、処理しきれない
 
これまで言葉にできなかったことが、言葉になったり
曖昧でぼんやりしていたことが、整理されたり
また、拡散していて、曖昧になっていったり・・・
 
いったん打ち切って、整理しよう。
意志さえあれば、いつでも対話できるのだから。

2021年4月24日土曜日

少し見えてきた感じかな

 全てのつながり、
ヒトの細胞以上の数の常在菌の存在も含めて
関わりの中で生かされていることに感謝
 
地球を大切に守っていきたい
自分の懐に抱くように
 
そのために何をするのか
どう関わっていくのか
 
私は歴史の最先端であり、宇宙の縮図であるならば
今この自分の環境に全てが凝縮している
 
だから自分の周りに「天国」を作ることが
すべての問題の解決である
 
自分の周りに「天国」を創るとは
 
地球を守るということが、
自分にとってどういうことかを明確にして、
そのためにできることを、行動として選択すること
 
どのように働きかけるのか
どのように関わるのか
それは自分が自分自身に働きかけるのと同じこと
 
自分自身を育み、創っていく、創造する
 
分断され、孤立した個としてではなく
つながりの中に存在し、生きる自分自身
 
少しずつ見えてきた気がする
 
経験から生まれる捉え方の違いから、
真の意味で理解しあえない別の宇宙としての個だけど
上に乗っかるコンテンツ、経験や考え方は違っても
根底に機能する構造は同じ
 
その構造を解き明かす
ヒトの心のプラットホーム
 
すごいこと教えてもらった気付かせてもらった
 
 
ココロの構造、意識の構造
 
「鏡の法則」「自分が源泉」もその一つ
阿頼耶識と末那識のような仏教の捉え方もある
 
わかりやすく親しみやすい切り口で本を書こう
Noteやオンラインの 出版的な形にしよう
 
辛いことも苦しいことも悲しいことも、
相手への恨みとして残すことなく、
笑顔や喜びに転換できる流れを整えたい
 
地球や歴史と向き合うのも
そこから、こうありたいというイメージを明確にするため
 
それを自分自身の身の回りに、モデルケースとして創り出したい
 
「自分」「私」は分断され、分かたれたものではなく
つながりの中に存在している
それが「生かして頂いてありがとうございます」の真意である
 
自分がこの世界との関わりを終えた時
続きをどうするかは
次の世代に委ねれば良い
新しい世代が創り出す世界を見るのを楽しみにして

2021年4月23日金曜日

瞑想から祈りへ昇華

 ●四方拝
全てのつながりの中で、
いま私が生かされていることに
感謝の想いを持って行う
 
頭で考えるのではなく
自分自身の感覚として
そう感じるようになった時、
自然とそういう姿勢で行うことができるのだろう
 
今はまだ、
朝起きて少し意識を切り替えて、
取り組んでるような感じがする
 
完全に自分のものになりきってるわけではないけれど
以前よりはスムーズに
全てとの繋がりを意識できるようになってきた
 
●感謝の瞑想
カラダを緩めて感じることを大切にしながら
そこから何が立ち上がってくるものを
キャッチして行こうと意識した 
 
夢の中のように、その時ははっきりしているけれど、
 
意識しようとすると、
ふっと消えてしまうような脆さをもった
微かな、微弱な世界
 
いろんな微弱な想いが通り過ぎていく
湧いてくることは、すべてがつながっている証でもある
脇に置く前に、そっと拾い上げて確認する
 
感じる事を大切にしていく中で
自分の中のもう一人の自分との
対話のイメージが湧いてきた
 
私は顕在意識でもう一人の私は潜在意識
 
この対話は瞑想が祈りに変わっていく
神との対話
全てに繋がる存在なので、全ての情報を教えてもらうことができる
 
地球上の歴史的な全世界の
恨みや悲しみなど様々な思いを持った霊的存在に
働きかけるじ上位の存在
 
様々なレベルの存在がいるので
働きかける中で疲れてしまうものもあれば、
働きかけながらも穏やかで喜びを維持し続けている存在もある
 
時間が加速し
魂の覚醒も進み始めている
働きかける存在が多く必要になってきている
全てがバランスよく必要に応じて動いている
 
私自身は、
今のあり方をとても幸せだと満足に感じていて
こういう心の在り方のプロセスを
多くの人に味わって欲しいと願っている
 
しかしその方法は全く見えない
多くの人たちに、
たとえ自分の実の父親であったとしても、
その道を歩んでいただくのは簡単ではない気がしている
 
今日の新たな発見は、
 
生かしてして頂いてること、
全てとのつながりへの感謝を、
意識の切り替えなく自然とできるようになっていく
変化のプロセス上にあること
 
そして何より、
感謝の瞑想が祈りの対話に昇華していくこと
 
これ以上続けると、
現実世界に持ち帰れるキャパを超えてしまう
一旦今日はここまでにしよう 
 
もう一人の私との対話は、私が望めばいつでもできる
そしてそれは、祈りである
ーーー
こうして感謝の時間を持ち
その内容を記録していく取り組みを通して、
気づきや学びの深さ幅がどんどん大きくなっていく
 
ものすごく大きな人生の時間の短縮が起きている
 
以前なら、年単位をかけて
ひとつずつ気づいてきたものが、
自らの内にどんどん生まれてくる
 
これが第二層の感覚なのだろうか
第一層のあゆみとは、スピード、質、量共に次元が違う
 
だからこそ他の人に伝えられる感じがしない
どうしたらいいのだろうか
 
階梯をしっかり整える必要があるのかもしれない

2021年4月22日木曜日

思索を手放す

全ての繋がりに感謝、四方拝を通して感謝を捧げる
 
今日は特に深く思考すること、思索することは避けて
できる限り体の力を抜いてつながりから感じるものをキャッチしようと思った
 
何もない感覚、これでいいのだろうかと不安を感じる
自然と、直近にあった様々な出来事が
とりとめもなく湧いてくる
関連し合いながら広がっていく
こんなことが気になってたんだなあ
こうして広がりが生まれていくんだなぁ
感謝の瞑想のはずが、自分の関心ごとにどんどんシフトしていく
日常でも、自然の流れに任せると
自分の身の回りのことにばかりに意識がいくのかもしれない
 
しかし、こうして気になっていることをしっかりとキャッチすることも
また大切なことなのかもしれない
 
毎朝のこの瞑想では、
思索して深まってきた
 
これまでの流れを考えると
思索を手放すことへの恐れがある
 
自分の中に何が生まれるのだろうか
これまでのような気づきや学びを継続できるのだろうか
 
もう一度、宇宙の中心を自らの心のうちにイメージして
全てのつながりによって生かされていることに
感謝の思いを向ける
 
手足の指先まで血管が広がって
血流がぐっと流れるのを感じる
 
天と地の関係が、
陰陽の関係のようにも感じられる
そして、太陽と月と地球、これはアマテラス、ツクヨミ、スサノオ
昼と夜は、アマテラスとツクヨミのようにも感じる
 
全てのつながりの中で、今生かされている
 
過去の全ての物事が影響しあって、今がある
 
今がベストな状態ではなく、良いことも悪いこともある
 
今の状態が最終結論なのではなく
ここからまた、相互に様々に影響しあいながら
未来が紡がれていく
 
そしてそれらのすべては
過去の歩みのおかげで生まれてきたものだ
ありがとう
無駄なことはひとつもなかった
ありがとう
 
イメージの中で地球を抱きしめる
体の中に、天からと地からのエネルギーの統合をイメージする
 
思索から、何かが生まれてくる感覚はないけれど
空白があるからそこに何かが入ってくる
そこから何かが生まれてくる
そういった新しい流れの予感がある
 
感じたことを受け止めていくのは受動的な感覚
思索して広げていくのは能動的な感覚
 
自ら動いて作り出さなければ、
生み出すことができない
という思考が働いている
 
それを手放して
全て必要なものは手元に展開する
今はそういう時期なのかもしれない 
 
対話しながら心の声を聞いてみよう! 

2021年4月21日水曜日

すべてに繋がっている

 ●四方拝
今日は四方拝に入る前に、しばらく半瞑想のような時間を持った
 
そして
「全てのつながりの中に生かされている自分」
であることに対する感謝を確認して
四方拝を行った
 
最初は本当に気持ちが入っていたが、
東南西と進んでいくうちに
だんだん形式化していく感覚があった
 
人は考えて行動するよりも、
正解の形を行うパターン化されたものを望むようだ
自動化効率化の最たるものだろうけれど、
自動化パターンかした途端にそれ以上の進化はなくなる
 
●感謝の瞑想
宇宙の中心は自分自身の胸の中、心の中心
人そのものが宇宙だから
 
天から私の中心に降りてくるエネルギー
大地・地球の中心から私に登ってくるエネルギー
この2つが私の中で統合されとつのものになる
 
天の神と大地の神
ここで出会い一つになる
天と地は人によって統合される
なぜなら天も地も人を中心に働きかけてくれるのだから
 
------
あなたは
歴史上の、世界中の苦しみ悲しみ恨みを持った魂の救済を
意識して取り組んできたけれど
それがすべてではありません
 
その救済の先に
どんな状態であることを望むのでしょうか
 
この地に縛られずに、
きちんと本来の姿で存在する魂のエネルギーもあるのです
 
数が少ないと言われるけれども
それらの全てが魂の救済に動いてるというわけでもないのです
全てが苦しみ葛藤しながら救済活動をしている途中ならば
どこに希望の理想があるのでしょうか
 
希望の理想があるからこそ
その姿を目指して救済活動をするのです
 
希望の理想の状態にある存在がいるからこそ
希望の理想なのです
 
全ての存在に意味があります
恨みの魂にフォーカスするよりも、
喜びや充実感、穏やかさ んに出された魂に
フォーカスしてみる選択もあります
恨みの魂の解放の先にそれを目指すのであれば、
目指す姿にフォーカスしてみる
というアプローチも選択できます

---
 
常在菌の存在はとても不思議だ
 
人として生まれた最初から存在するわけではないのに
これがなければ生きていけない
まさに共存の関係である
 
これだけを見ても
人は環境の全てと繋がって存在していることを知る 
 
どこまでが私なのだろう
---
常在菌のことがそうであるように
全ては関わり合って存在しているので
そのことに意識を向けるならば
関わる全ての事が分かるようになります
 
意識がどこにあるのか何に関心を持つかによって
入ってくる情報や知識は変わってきます
 
あなたは全てに繋がっているのですから
力を抜いてしっかり緩めて意識を向けて感じればいいのです
 
思考するのではありません
感じ取るのです
 
パターン化した形式を繰り返す合理的で自動的な歩みは
変化を妨げます
 
探求し続けることで新たなステージが開け
そのステージに立つがゆえに新たな世界が広がります
 
こうして変化し続ける人は、
とてつもなく遠いところまで旅をすることができるのです

---
 
パターン化した形式に縛られる人は
いつまでもそこから離れることができない
こうすることが正解だという発想で行動するから、
その正解を疑うことなくそこから離れることがない
それは考えなくていい、探求しなくていいので、
とても楽で快適なことである
占いはきっとよく当たることだろう
 
これが正しい、これが正解だ
と自分が信じていることに疑問を持ち、
さらに探求していく姿勢が新しい自分を生み出していく
 
これはとてもエネルギーを消費する取り組みで
大変なことなのかもしれない
 
これが出来る人は、変化が速く変化が大きい
 
----
思考で取り組むのではありません
感じ取るのです
あなたは全てに繋がっているので
求めれば(意識を向ければ)全てのことを得ることができます

---
 
とても穏やかな気持ち
全ての可能性を手にした感覚
新たな気づきと知恵を得た
  
この取り組みの継続は、本当に素晴らしい 

2021年4月20日火曜日

視界の悪い靄の中を歩む

 ●四方拝
何に感謝を捧げるのか意識をそこに向けて確認
存在する全てのもの関わりある中で
今、私がここにあることができる
「生かして頂いてありがとうございます」
その思いをもって四方拝を行う
 
●感謝の瞑想
瞑想に入って、いつもとは違う感覚が湧いてきた
最初に宇宙の中心で感謝を伝えることをやろうとしたけれど
そのこと自体がすでに思考によってコントロールされているように感じた
 
何も考えたくない状態こそが
瞑想としての深さを生み出すとするならば
これまでの毎日の瞑想は
思考によって組み立てられたのかもしれない
 
先にイメージを描いてそれに沿って
思考を走らせていたのかもしれない
そのイメージを描くこと自体が
思考の影響を受けている
 
考えることが億劫な状態の中で
呼吸に意識を集中させる代わりに
ただただ、心の中で「ありがとう」とつぶやく
手の指の先に流れる血流を感じる
 
そしてその中で浮かんでくるイメージがある
確認して脇に置こう
  
苦しみや悲しみ恨みの思いを浄化するのは、
存在意義の再確認であるとするならば、と
日本において戦争でなくなった方々
その時代を苦しみながら生きた方々
に意識を馳せてみた
 
その方々が現代の日本を見てどう思われるだろうか
こんな社会を作るために命を捧げて犠牲になってきたのか、
と思うと無念でならないかもしれない
 
しかし、それですら一面的な見方にすぎない
 
戦争時の尊い犠牲があり、
その後の耐えしのぶ時代があったからこそ
かつては夢のように思えた便利な社会が実現した
そこにはたくさんの笑顔があり、幸福感があり、希望があった
 
同時に、その便利さゆえに多くのものが失われた
倫理や道徳観、他のために奉仕協力する精神、
神仏を大切にすること、先祖を祀ること、 
周囲の人との絆など
 
それもまた成長発達のプロセスの一段階
 
戦中・戦後の犠牲がなければ、
そのプロセスを登っていくこともできなかったのかもしれない
誰かの指揮命令に従って生きていくことが当たり前の時代から
一人一人が主体性と自主性をもって、
自律的に生きていく時代に変化してきた
 
その副作用として、
退廃的で享楽的で刹那的な面が浮かび上がってきた
 
それもまた私自身である
 
それらの一つ一つに向き合い味わい限界を感じ超えていく
そして次のステージに移行していくことを思えば
無駄なものはひとつもない
 
そして歴史の断面だけで、時代を評価してはならない
繋がって次の時代が作られているのだから
 
私自身の生き方として
おぼろげながら
個人、対人間、組織の発達段階について取り扱いながら
人材開発、組織開発を行なっていこう
という方向のイメージがあったが
それすら私の思考の作り出したものなのかもしれない
 
何をやってもいいし、やらなくてもいい
こだわるものは何もない
 
楽をしたいから、努力を惜しまない
無駄にしたくないから、溜め込んで行く
 
朝の瞑想で何も考えずに
ただただ体を緩めて、体を感じて、
そこに繋がる世界を感じて
・・・それからどうするのだろう
 
また、見えなくなった感覚
混沌の世界に入るのか・・・
靄の中を走り、視界が晴れたと思ったら、また靄の中
視界の悪い靄の中を進んでいくのが人生なのかもしれない
 
こうして朝の瞑想とその記録を続けながら
どんどん新しい面が開けていく
それが良いのか、悪いのか
全くわからないけれども
どのように展開していくのかは興味深い

2021年4月19日月曜日

意味を見出すことは創造である

 ●四方拝
始める前に、私は何に感謝をするのかを
もう一度短い時間意識して、確認した
 
全ての物事が影響しあって現在を作っており
私自身もその影響の中で生かされている
 
四方拝は
四方(東西南北)に空間的な広がりを象徴させ、
毎日行うことが、歴史的な時間軸の広がりを象徴して、
時間空間のすべての存在に感謝伝える
 
そして、時空の様々な「縁」で
私自身が生かされ様々な体験をさせていただくことができている
「生かして頂いてありがとうございます」の感謝を捧げる四方拝
 
何に感謝を捧げるのかを意識することは大切なことかもしれない
形だけでも意味はあるのだろうけれど
意識することによって、深まり、展開が早くなるような気がする
 
●感謝の瞑想
最初に宇宙の中心に浮かび、「ありがとうございます」と意識を広げる
手足の先までエネルギーが流れる感じがする
 
こうして繰り返すことで
どんどん
宇宙と自分自身がオーバーラップしていく
 
喜び幸せのための世界であるとするならば
・地球は苦しんでいるのだろうか
・火星は苦しんだんだろうか
・地球の大地を守る存在は、苦しみと葛藤の中で支えてくれているのだろうか
・天から守護する存在は苦しみと悲しみの思いを抱きながら成長を願っているのだろうか
私は今まで自分の一つの見方にこだわって、物事を捉えてきたのかもしれない
 
歴史上の、また世界各地の
様々な苦難や涙、苦しみや悲しみの積み重なった思いを
清算していくための手段は、
そこに前向きな意味を見出して
そのことに感謝をして
それ故に、存在の意義があったことを伝えていくこと
 
そうであるならば
(上から目線ではあるが)意味を与えることには、大きな意味がある
表現を変えるならば、意味を見いだすことこそが創造である 
 
私は、何を創造するのか
その出来事にどのような意味づけをしていくのか
そこからどのような感情を味わい、自らの内に蓄積していくのか 
 
どのような意味づけをしていくのかということが、
人生の創造である
 
  
瞑想しながら考えることすら億劫な状態
つまり何も考えない状態を味わう
・私の肉体を越えて全てを感じる準備である
・私の思考を超えて全てを感じる準備である
 
幸せを感じよう
喜びを感じよう
 
小さなことに幸せや喜びを感じることのできる感性は
まさに幸福な人生を創造する感性である
 
「天」と「地」の双方から応援された「人」
悲しみや苦しみ葛藤にフォーカスするのではなく
喜びや嬉しさ楽しさ笑顔にフォーカスして行こう 
 
 
真人、ブラフマン、仏性、神性
そこに至るプロセスが発達段階である
 
人は過去の自分の体験から生まれた価値観に、あまりにも固執し
曖昧な認知のまま物事を判断して生きている
受け入れられることを至上命題としているようにすら見える
これは永遠の渇望の世界
受け入れることをして初めてその渇望から逃れることができる
 
愛されることを求める苦しむことは
愛することによってのみ解消される
 
 
もうひとつのテーマ:スピード
意識の成長は、だんだんとスピードアップしていく
これによって人生の質が大きく変わっていく
同じ時間を費やしても、そこでの活動の質量ともに大幅に変わる
 
まさにRPGでの主人公のパーティーが
経験を重ねるごとにどんどん巨大化していくのに似ている 
 
私は、どこに意識を合わせて、取り組んでいくのか?

2021年4月18日日曜日

幸せな関係がすべてを癒す

 四方拝「生かして頂いてありがとうございます」と全ての存在に感謝を捧げる
これが一番しっくりくる感じ
 
感謝の瞑想
最初に、宇宙の中心でプカプカ浮きながら、「ありがとう」と感謝を伝える
その意思は、宇宙である「私」の胸の中心から手足の先まで響き渡る
 
宇宙を満たす慈愛を補填するというよりも、
その慈愛に感謝をする感覚の方が近いのかもしれない
 
地球に意識を向ける
これまで歴史的に積み重ねられてきた
恨みや悲しみ辛い思いをどうやって癒すか
という方向で意識をしてきたが、
同時に、歴史の各場面で世界の各地で
子供の笑顔があり、親子のふれあいがあり、老人をいたわる子の愛情があった
  
その地を守ってきた守護の存在も、
歴史を通して系統を命を守ってきた存在も、
そうした幸せそうな姿を見て力を得るのだと感じた
 
大地の神、地球を守護する神も、天から守る神も、
等しく人の幸せな姿を見てそれが大きな喜びになる
それらの神々にとって人は自らそのものであるから
 
どうして私は、
苦しみや悲しみ恨みに
意識をフォーカスしていたのであろうか
 
そこをいくら掘り下げても、
そこにいくらフォーカスしても、
それらが癒されることはない
 
その苦しみや悲しみを恨みも土台となって、
笑顔や幸せな関係があるとしたら、
そのことにフォーカスした方が
はるかに癒しになる
 
命をかけて守りたかったのは
そうした幸せな関係である
だからこそ、そこに慈愛のエネルギーがある
それが宇宙を満たしている
 
人の笑顔と幸せな関係
それが私たちの生きるエネルギーの根源 
だからそれを守りたい
大切にして育んで広げたい
 
この朝の感謝の時間の様々な気づき
これがこれからの私を創っていく

2021年4月17日土曜日

思い込みを取り外す

慈愛に満ちた宇宙
慈愛に満ちているということは、
応援するように、いつも守り寄り添っている存在を感じる
そこに愛を感じる

四方拝を通して全ての存在に感謝を捧げることを意識しながら
高校生の自分が、スウェーデンボルグの本に出会った時のことを思い出した

かたくなな強い思い込み
新たなものを注ぐのにどれだけ大きなエネルギーが必要だったのだろうか
そういう取り組みをしてくださったことに対しての感謝が湧いてきた

直接感謝を伝えることができるわけではないけれども
そういう思いをきちんと返していくことはとても大切なことだと思う

全ての事に感謝を捧げるということは存在そのものに対してだけではなく
出来事や過去の行為に対してもそうなのかもしれない


今日は最初に、宇宙の中心=自分の中心から感謝を送った
いつもとは逆の順番

そして大地の神、天の神に対する自分自身のイメージ・先入観を取り払うことを意識した

人類の営みによって、地球自体にものすごく負担がかかっている
それを嘆き悲しみ苦しみ何とか支えてもらっているというイメージがあった

確かにそういう面もあるかもしれないが
火星の荒廃を見ると、
干渉すること以上に
人の自由意志の尊重が優先していることを感じた

そんな中で、地域の氏神様はどんな役割を果たされてるのだろうと思いが巡った
氏神と産土神、産土紙は大地の生命に関わる神様、祖霊を祀る氏神
本来の役割は違うけれども、
土地に長く一族が住むと産土神と氏神は重なってくるのだろう

産土神は、命をつかさどる大地の神に繋がる
祖霊を祀る氏神は命の根源に繋がる
縦と横の関係かもしれない
両方ともに重要であり大切なものだ


日本各地、世界各地の歴史の中に、
多くの恨みや悲しみ憎しみなどの思念が残っている 
今までは、どちらかと言うと、
そうした情念をどう浄化したらいいんだろうかと意識が向いていた

しかし、
貧しい中にも笑顔があり、
親子の喜びがあり、
友とのつながりがあり、
そうしたポジティブな情念も積み上げられてきた

そしてこの世での生を終え、
次の世界にいくとき、
そうした情念の感覚が引き継がれていく

一見するとポジティブな情念が良さげに見えるけど、
その両方を味わうがゆえに
喜びや嬉しさ楽しさの味わいが深まる部分もある

決して一方だけで十分なわけではないのだろう

苦しみ、後悔し、もがき苦しんだが故に、
同じことは二度としないと強く心に誓い、
前進し改善してきたこともたくさんあったに違いない

全てに意味があり、一つ一つの出来事が今の自分を築いている

自分が味わってきた全ての情念に感謝をしつつ、
全てを受け入れよう
楽しさや喜びに感謝をすることで、
過去の苦しさや悲しみ辛さを解いていこう
今のこの便利で恵まれた生活ができるのも
歴史上の世界各地の様々な悩みがあったから

そこにはたくさんのネガティブなこともあったかもしれない
誰にも正解が分からない中で、
試行錯誤しながら進んできたのだから、
やむを得ない面もある

そうした過去の「犠牲」の上に
現在があることを忘れず感謝を持って今を生きる

それが過去を清算する最も近い道なのかもしれない 

こうして朝の感謝の瞑想をしながら
それまでの自分の中には無かった新たな視点からの気づきや意識の広がりが
とても面白い
日々前進している感覚を与えていただいている
とてもありがたい

2021年4月15日木曜日

すべての存在に感謝を捧げる

四方拝の前に少し意識をしてみた
四方拝は、
あらゆる存在に対して
感謝を伝え捧げる時間であり、行為である

瞑想に入る

無念の思い恨みの想いをもって亡くなっていった方々の意識も
その存在が何らかの影響を与えて、次の時代を作ってきた
一見ネガティブでマイナスに見えるその状態も、
それがあることで気づきや学びにつながった面があるに違いない

現に私自身も、そういった存在を恐れて遠ざけるのではなく、
思いを寄せて共感しその無念さを少しでも慰めることで
浄化していくことを知った
そういう意味で、
全ての存在全ての守護してくださる存在、
物質的な存在、霊的な存在、
あらゆる次元のあらゆるものに対して、感謝を捧げよう

地球に縁のある全ての存在、次元の異なる存在も含めて、
守護する存在も攻めようという存在もすべて含めて意味がある

第2層から見ていかないと、
全てに意味があるという視点に立つことができない
自分の身の回りの出来事の意味を感じ取らなければ
次元の違う存在に対しての意味を理解することができない

地球上のあらゆる残念な思いを持った存在に対して
長い時間軸で見た時に、
一つ一つに意味があったことを伝える
そして感謝を捧げる
ポジティブに前向きに頑張ってきた魂
それが模範となったこと、希望となったことを伝えよう
そして感謝を捧げる 

それらを踏まえて現実社会とどう関わっていくのか
現実社会にどう働きかけていくのか
それが今、私自身に問われている
自分自身の軸をしっかり定めて行こう 

2021年4月14日水曜日

すべての存在に感謝!

四方は全ての空間と時間を象徴して いる
時空を超えて 守護する存在への感謝を捧げる
宇宙は愛に満ちているとするならば その愛のエネルギーを 満たしていく一助になりたい

瞑想の始まりは何も考えていない力の抜けた状態
半分眠ってるような、ある意味理想的な瞑想の状態
久しぶりに近くの座禅会に行ってみようかなとさえ思えてきた 

四方拝の時はそこまで意識できていなかったけれども
瞑想しながら探求していくと
天地人、天は天津神、地は国津神、
天地の双方で人を守っていただいている

各分野、各領域、各地で、
その地やその地の人々を守ってくださる存在に
感謝を捧げることで、力を得ていただきたいと思っていた

宇宙の根本が慈愛のエネルギーであるとするならば、
その愛のエネルギーを満たしていく一助になって、
自らがそうであったように、
その恩恵を受ける方々の助けになればと思っていた 

人は、そもそも、存在においては完璧な存在であり
様々な体験を味わうために
あえて自由意志を持って、個として存在している

そのことによって、
地球を滅ぼしかねないような状態にまで、
来てるのかもしれないが
それでも人知では計り知れない縁(えにし)によって
お互いに関与しながら影響している

その事によって、
自らの気づきや学び成長が起こることを考えるならば
全ての存在に対してありがたい思いが湧いてくる
全ての存在に対して感謝を捧げる想いになる

小林正観氏のありがとうのメッセージは
まさにそのことを伝えているのかもしれない

スパイラルダイナミクスが説く第2層に至った存在は
そのことを理解しているのかもしれない

第2層の意識から世界を創ってみたら
どんな世界になるのだろうか
そんな世界を見てみたい

漠然としていた感謝する思いが、
ようやく至るべきところに至った感じがする

守護してくださる存在だけでなく、
全ての存在に対して感謝を捧げて行く

生かされていること自体、
この世に存在していること自体に、
感謝を捧げていく

ありがとうございます


さて、ここからは、
ではその状況の中で私はこの世界で
どのような生き方をしていくのか
どのような生き方をしたいのか
具体的なイメージを描き
戦略を立てて行くのも悪くない

2021年4月13日火曜日

何も考えないことを味わう中で

朝起きたばかりなのに体が重い
なかなか目覚めなくてボーっとした意識の中で始める
しかしこのボーっとした状態がいいのかもしれない

四方拝の動作の時に、
宇宙と自分が一体だという知性・思考の働きと同時に、
個としての自分の意識を超えていない、がっつり個の意識の中にある自分がいる。
そのことに違和感を覚えテイル自分に、やや満足感がある。

個の意識の中にあるのであれば、
様々な個(守護してくださっている存在)に対して感謝を捧げよう


瞑想の中で、体が重くて何も考えたくない状態を感じる
ある意味では、これは理想的な瞑想の意識状態なのかもしれない

感謝を捧げなければならないという義務意識になった瞬間に、
無理に意識をそちらに向けようとする力が働く
それは湧いてくる思いではない


考えることすら億劫な状態を味わいながら、かすかに湧いてくるものを感じ取る

地球のイメージがいつもよりやや小さく、
しかし同時に自分の内側にとても近い

過去の様々な歴史上の思念の交錯にも意識が向かないが、
それらを踏まえた上で新たに動くことが求められていると感じる

これまで、恐れや不安から逃れ、相手に勝つことを望んで、ものが生み出されてきたとするならば、相互に受け入れあい新たな知恵が統合される中から生み出される状態をこの世界に顕現させることが求められている気がする
その実態となるモデルになれ!


貧困や活動が恐れや不安を生み出し、
そこからのエネルギーで世の中が発展した来たとするならば、
新しいやり方で現世の富も得ていけるような
道筋をつけたほうが良いのではという思いが湧いてきた

同時に、ラマナ・マハルシが浮かんできた
ラマナ・マハルシのように
何もない中で心の平安を大切にして生きていく生き方こそが、
現世を越えた真の生き方なのではないか、という思い

従来のこの世を軸に判断して動いていく生き方から、
永遠の魂の成長のためにこの生の期間をどう過ごすべきか
という視点から取り組んでいく生き方へ
切り替えていく

そのモデルであることが求められている

私が進むべき行くべき道はこの方向なのだろうと感じる

セルフコアと価値観、経験
・・・経験の中から価値観が強化されていくとするならば
それもまた執着せずに手放すべき対象なのだろう

価値観を探ることは、自分の経験の積み重ねを探ること
自分の中に生じた無数の縁を確認していく作業に過ぎないのかもしれない

人の真の存在価値はそういったものを超えたところにある
一人一人が実にユニークな存在で
他に変えることのできない価値をもつ、ひとつの宇宙なのである

こうして毎日積み重ねるごとに、
深まっていく感覚がある

同時に、感謝の四方拝と瞑想を振りかえりながら
言葉に置く作業自体に解釈が入って行く怖さも感じている

2021年4月12日月曜日

個を超えたOneness意識と個々を大切にする思い

朝起きてすぐではなく一呼吸おいてから取り組んだ 
感謝を捧げるイメージを明確に持つことが大事

それがないと、だんだん「形だけ」になっていく恐れがある
そしてこれは、世の中でよく起こっていること
いつのまにか形骸化して やること自体が目的になる

私の朝の感謝の時間のイメージはどんなものなんだろうか
地元の氏神様にお参りする時に、明確に主体を意識するのと同じように、
四方を守護する存在への感謝を意識して臨む。
北は妙見、北斗七星が浮かんできた。
他の方位は具体的な存在というよりも方位を代表して、
その地を護っていることへの感謝なのかな

今日は全般的に、いつもよりぼんやりとしたかすかな感覚の中で進んでいった
そのぶん言葉の制約がなく、大きな意識の広がりがあったように感じるが、なかなか文字に残しにくい

地球の両極を軸として西回りと東回りに、
感謝で浄化する二つの半円球の物体が、地球の周りをまわっている

世界各地、日本各地に歴史を通して積み重ねられてきた恐れからの争い
そして、そこで命を終え、その地に呪縛されている存在が多数あること
それらに感謝を伝えて、存在に価値があったことを伝える
様々な先人たちの歩みがあったおかげで、その土台の上に現在がある
本当に複雑に影響が関わりあった中で、現在が紡ぎ出されてきている
一つとして無駄なものはなかったと思う

地球の各地にそうした感謝の思いを伝えていくことで、
無念な思いを持ちながら、その地に残ってしまった思念を浄化し、整えていく

そして同時に地球の外から5ヵ所の地球の浄化のために大きなレンズのようなもので太陽のエネルギーを集約照射しているイメージが広がって、地球を包む大きな層になっていった
地球の大気ヴァンアレン帯、オゾン層など地球の周りを取り囲み、地球の生命が生きやすくするための層は、同じようにこうしてつくられていったのかもしれない

天津神と国津神の関係も、かつては様々あったかもしれないが、
今は融和していく関係になっている
それぞれに人を守り大地を守り、育んできてくださった存在であり、
いまは垣根を越えて、ひとつの大きな形として関わってくださるようになってきた
その関係のあり方が雛形となって、現実の世界に反映していく
二項対立から融和の流れに変化をしてきている

こうした感謝の時間は、
自分の実生活の方向性と同じベクトルの中にあることを
認識することができるようになってきたためか、
現実の様々な取り組むべき意識が流れ込んでくる

すべては一つなので、ワンネスとして一緒に取り組んでもいいのだけれど、
しかし曖昧なまま大きく1つだと思い込むのではなく、
正に自分の体の各パーツに感謝を捧げるのと同じように、
一つ一つを大事にしていくことも大切なことである

しかし同時に融合したエネルギーはとても大きな力を持つ
私を含めて全てが大きなエネルギーの一部として全体としてつながっているのだから 

※ワンネスを意識する時、個の意識を越えられているかどうかのチェックは必要みたいだ

2021年4月11日日曜日

感謝のエネルギー、宇宙を慈愛で満たす

 体がとても疲れている
7時に起床し7時10分前から始めたが、なかなか意識が集中できない
スマホのメッセージへの返信や、トカラの群発地震、今日のワークショップへの意識が湧いてくる

感謝を捧げるというよりも、感謝と慈愛のエネルギーを送る
宇宙のベースが愛であるならば自らの内=小宇宙の中を慈愛の思いで満たすことが、
宇宙に愛のエネルギーを注ぐことになる

また大地の根源神をはじめ、各地を守護してくださった存在に
感謝を伝え、感謝のエネルギーを送ることでその恩に報いていく
そのための取り組みなんだと改めて感じている
そのためにやりたいと感じていたんだと改めて思い出す

四方を拝し、ありがとうと思うこと、その形だけになってしまうと
本当にやりたかったこととは違うものになってしまう

国津神の源として国常立尊が地球の中心にあり、
天津神の源として太陽神天照大神がいる
そんなイメージが自分の中にはあるが、
双方の関係意識を向けると
かつては地球は太陽と関係のない存在だったのかもしれないとも思った
それはそれで太古のことなので直接は意識しなくていいことかもしれないけれど

大地に意識を向けるとトカラ列島の地震がとても気になる
異常な回数の揺れが起こっている
イメージの中で、その場所と一帯にエネルギーを送り、
地球を抱き感謝を伝え、
日本の大地を守ってくださる存在に感謝のエネルギーを送る

宇宙の中心で感謝を捧げると、
自分自身の胸の奥を中心に、全身にエネルギーが巡る気がする

宇宙の慈愛のエネルギーの一部にでも貢献できたとしたら、
それはそれでとても嬉しいことだ

宇宙と大地感謝と慈愛のエネルギーを注ぎたいと願う根本に、
自分が満たされたい思いや「自分自身」があるとしたら、
なんと世俗的な欲望だったのだろうという思いも湧いてくる
しかし一方で宇宙全体が自分自身でもあるとするならば自他の区別はない 

こうして様々な自分の状態の違いの中で朝同じように感謝を捧げる時間を持つことは、
そこから生まれてくる様々な意識の違いに気づく良いきっかけになっている
とてもありがたい時間だ 

2021年4月10日土曜日

感謝の瞑想

仕事の資料作りが迫っているので、簡単にと思ったが、やはり30分ぐらい時間がかかった

しかし、それでもとても豊かな時間だった
まずは何よりも感謝をささげることと今取り組んでいることが、
昨日まで以上にダイレクトにつながってきた感じがする

感謝を捧げる中で見えてきた世界のイメージ・日本のイメージ
歴史上の様々な人の葛藤、トラブル、争い

これまでの争いは、恐れから生まれてきた
自分自身が受け入れられないんじゃないか
存在価値をかけた争いだった
それは今の宗教の争いにも似ている
個人のレベルから世界のレベルになるので構造は同じ

確かに、様々な科学技術など、それらから生まれてきたものもたくさんある。

けれども、争いの中からあらなたものが生まれてくる構造を繰り返したくはない

意識レベルが発達してお互いに受け入れあえることで、
そこから物事が発展していく世界にしたい

視座を引き上げていくこと
現実を見ている自分の目ではなく、
世界を見、宇宙を見、人との本質を見ている天の視点で
物事を見てみると、全く違う思いやアイデアが浮かんでくる

その転換した視座からのひらめきが直感であり、
「もうひとりのわたし」「自分の中の私」であり、
全く自分とは異なる新しい物事の見方が生まれてくる

そして、それを現実世界といかに融合させていくのか

こういった視点に気づいてる人は一定数いるけれども
言葉に出してきてはいない

まだ体系的に言葉にしていくことに、ためらい抵抗がある時代だから
これを切り替えていく必要がある
言葉に出していくことのできる環境を徐々に作っていく必要がある

今日はこの感謝の瞑想の中で、
どうしても今日中に作りきってしまわないといけない仕事の資料に意識が行ってしまった

しかしそれこそが、いま私の意識やエネルギーが
しっかり向いているポイントでもある

ただその視線に縛られすぎると、
本質が見えなくなるので
俯瞰しながら捉えることもとても大事だ

作成している資料についてだけど、
詰め込みすぎはよくない
が、本質を押えて伝えることを伝えたい

一度に行うにはボリュームが大きすぎるのであれば
一回で終わることなく分割して様々なことを押さえていくことも大事だ
一度全体像を作り切って、そこから分けて行った方がいいのかもしれない

これは、天に感謝をささげていく、瞑想の世界ではなく現実の歩みである
だからこそ意味がある

この気づきは根源のエネルギーにつながる

作業の途中に、気晴らしとしてゲームなどを走って次回を浪費するその意識は
この宇宙をそういう方向に動かすことになる
逃げずに、本心が喜ぶことを軸にしながら進んで行く道を作っていこう 

2021年4月9日金曜日

感謝をささげること 4日目

 4月9日 朝の感謝

四方拝は「おはようございます」と「ありがとうございます」の意識で行った
瞑想の時に比べると深さがないが、行為に意味がある感じがする


今日は、日本各地にいつもより細かく意識を向けた
全国各地にさまざまな歴史と人の営み、思念の交錯がある

九州から始めて、四国、中国から京都・大阪・奈良・和歌山を中心に近畿、中部・北陸、白山、関東、富山・新潟から東北、北海道。

アイヌの置かれた境遇の変化から千島列島・樺太、南は沖縄・琉球への意識から台湾辺りまで。小笠原諸島含めて、様々な人の営みの積み重ねがある。


人から意識されることもない中でも支えてくださってきた各地の神々、そして大元の神様
それらですら、わずかに意識してくださる人の存在の認識によって、形づけられて意味づけられてきた
本当の姿、本当の思い、本当の働きを認識されることは少ない。
しかし、それでもごくごくわずかの人がそこに思いを馳せることによって、今日までのつながりを保ってきた。 

神々は何を願ってきたんだろう、何を自らの役割として歩んでこられたのだろう

争い、衝突、苦しみ、葛藤を抱えた経験があるからこそ、その立場が理解できる
それがすべてなくなってしまうと、そうでない状態のありがたみすら、わからなくなっていく
平和の時代が続くと、戦争の悲惨さが忘れ去られていくのと同じように

しかし、それではその衝突の状態争いの状態があったらいいのか、となるとそれもまた違う気もする


人の意識の発達を考えると、子どもの頃から完璧な存在で生まれてくるわけではないので、生育のプロセスとして様々な状態が生じ、それを受け入れられる社会であることが望ましい

同じ時代、同じ空間に様々なレベルの意識の状態の存在が併存することが必要になる

また発達は個人差も大きいため、大人になっても一定のレベルに達する人は多くはないかもしれない
それでも、より高いレベルへの道を開いていくことは、希望とともに可能性を広げていくことになる 

衝突や争いを成長のプロセスとして、見守っていくことのできる関わりが必要なのかもしれない


地球にエネルギーを送る
北極を中心に北側1/3を、日本を起点に西回りで一周
赤道を中心とした1/3を、フィリピンやインドネシアトリネシア辺りから西に一周
そして南極を中心にオーストラリアニュージーランドあたりから西回りに一周
最後に南極大陸に意識を向ける
赤道を中心としたベルト地帯は、温暖で住みやすかったからなのか、人の歴史も色濃く、争いも多い

地球の両極に軸を立てて西回りと東回りの2つの浄化の半円弓を回している

太陽の光の中から、地球を浄化し整えるための波長を、地球の倍くらいのフィルターを通して地球に集める
地球から見て、太陽方面に1ヵ所、そして後方の四隅斜め上から反射する形で4箇所、計5ヵ所からエネルギーを送る

太陽のエネルギーに感謝!
太陽の存在は大きい


地球を抱き地球の中心から感謝を伝える
地球の中心の存在に感謝を伝える
地球を自らの内に取り込むようなイメージ、これにはリスクと覚悟が伴う
今までよりも近く強く抱きかかえる

太陽に感謝を伝える

太陽を自らの内に取り込むようなイメージ
体の中に光のエネルギーが広がる
宇宙の中心を意識して感謝を広げると、宇宙の中心は自らの内にあり全身にエネルギーが満ちていく感覚

◎「私の平和活動」のために

・心の平安は、根源とのつながりから。「もう一人の私」=内在神(神性/仏性)との対話
・意識発達のレベルを高めるとともに、生育のために見守る意識も育む
・対話による多様性の受容は発達段階の一部/内省的対話へのステップ:これだけでは不足
・何が正しいのか、はない/私が創りたいものは何か、に向かって進む
・いまは思い付くまま手あたり次第 ⇨ 体系的に整えて(計画的/戦略的に)進むのも必要


2021年4月8日木曜日

世界に感謝をささげることから見えてきたこと

大地、地球、宇宙への感謝と
リアルな現実世界での取り組みとのつながりについて


歴史的な世界の争いは侵略されたくない、奪われたくない自分の生活を守るために、
ある時は守る側、ある時は攻め側 、
共に相手のことよりも自分を守るために、自分の家族、一族、国を守るために戦ってきた
そこに分かり合うという選択はなかったのかもしれない
力の強い者は、自らの意思を通ふすことができ、
弱い者は弱い者なりの生き方しかできない世界が長く続いた

軍事技術から生まれた科学技術のように、
その中から生まれてきたものもあり、それらの全てが土台となって、現在がある。
その恩恵の上に、その遺産の上に、今私たちは生活をしている

これからも、それを繰り返すのか?
形は変わっても、強い者が弱い者を虐げていくような生き方を繰り返していくのか?


この世の生き方には、正解もなければ誤りもない
ただ選択があるのみ
その与えられた自由な裁量が、あまりにも大きい故に、
私たちは途方に暮れてしまっている
正解がどこかにあるような錯覚を覚え、それを求めてしまっている


どんな体験の中にも学びはあり、どんな苦しみこんなの中からも成長が生まれるが、
同時に過酷すぎる環境の中で、心がねじ曲がってしまうことも少なくない。
屈折した心が、恐れと結びつくとき、
他者に対して残虐非道な容赦のない接し方になることは少なくない。


それを望むのか


寂しい思いをさせたくないのは、心がねじ曲がってしまわない為である
たとえ困難が多かったとしても、
共に歩み寄り添い支えてくれる存在があれば、
真っ直ぐに歩むことができる
そんな関係をしっかり作っていきたい


企業が利益追求を目的とすると考える人もいる
しかし 企業組織という器を使って世の中に役に立つ商品サービスを提供することこそが、企業組織の役割であり、それを継続的に存続させるために利益が必要なのである
利益はあくまで手段であり、目的は世の中に貢献することである
そこを履き違えた組織とはお付き合いをしたくない


同様に組織開発をする目的は、利益を上げるためではない
その組織が組織としての使命目的を果たすことができるように、
またそこに集う人々が本心の喜びを持って、
自らのやりがい使命感持って働くことができるような環境を整えるためである
その結果、お客様に喜んでいただける商品サービスの提供ができるのであり、
利益が生まれる


大切にするところを誤ってはいけない
周囲からも持続可能であってほしいと思っていただける組織を作りたい


人間力とは何か、人としての成長とは何か、
受容力の大きい人
恐れから動くのではない
喜びや 願い 期待から 動けるようになりたい
そんな組織でありたい


四方拝 3日目

昨夜寝るのが遅かったので、目が覚めた時にやろうと思っていた

5時にやることが目的ではない

睡眠時間を削って、体調や生活リズムが狂うことは望んでいない

感謝を捧げる時間を設けること、それが大事だと判断したから


朝7時頃自然に目覚めて起床、出先での初めての四方拝

ベッドの横の狭い空間で、北から順番に各方位に向かって、立って膝をついて拝することを行う

まだ意識が覚醒していないこともあり、「おはようございます」と朝の挨拶になってしまう

それでも、土地のお祓い(地鎮祭)と同じで、「形も大事」と思ってつづける


ベットの上にあぐらをかいて、感謝の瞑想に入る

今日は世界の各国を日本を軸に西回りで順番に巡っていった

恨みを抱き続ける韓国の国民性に、永遠に抜け出せない因縁の劫火を感じて、癒しのエネルギーを送りたくなったから。日本を後回しにした。

東アジア、オセアニア、南極大陸、ミクロネシア、ロシア、東南アジア、インド、旧ソ連圏、パキスタンからイラン、アラビア半島、トルコ、ギリシャからヨーロッパ、地中海から東アフリカ、マダガスカル、もう一度南極大陸に少し意識を向けて、西アフリカ、地中海、西ヨーロッパ、北欧、グリーンランド、北米大陸、中米、南米

各地域を手で撫でるように、感謝を伝えて行った

それぞれの地域に、生きるためのあるいは欲望のための様々な争いや醜い事件が、たくさん起こってきたことがイメージで伝わってくる・・・よくもヨーロッパからチリまで遠征してきたものだと感心する。

しかし、その背後に恐れがある、自分を守るための行動であり自分の欲望が起こした行動である

ただ、そういうことがあっても、その悲劇的なことの先に、文化・文明が進んでいった面もある

起こったことは仕方ないし、悲しいことだけれども、それらのすべてを踏まえて、現在・現世界がある


意識の世界とは言え、世界を順番に巡って、本当に時間がかかった

地球の南北の極に軸を立てて、地球をぐるぐる感謝の思いをめぐらしていく装置をつけた


地球全体を抱え込んで、感謝と慰労の想いを送る

次に、日本の各地に感謝のエネルギーを送って、地球の中心に向かう。

地球の中心でこのような様々な出来事を見つめてきた存在がある

何とも言えず複雑な気持ちになる

それでも支えていただいてきたことに、本当に深い感謝の気持ちが湧いてくる

ありがとうございます!

宇宙の中心に意識を映し、感謝の想いを報謝しながら、自分の体の中心からそのエネルギーが全身に広がるイメージに切り替わる。

実際に、少し腕を回しながら、カラダをほぐす


こうして世界を順番に見ていきながら、例えば奴隷制度ゆえに広大なアメリカの農地が維持され、工業化の前段階の様々な過酷な作業を担ってくれる存在が頑張ってくれたおかげで、大きな恩恵を生み出したことは間違いない

現在の礎を様々な悲劇が作ってくれた

複雑な思いである

もっといい方法はなかったのだろうかと思う反面、そこに起こった様々な恐れや欲望、自分中心の考えまた

そういったことが起こってくるのも、その人本人の問題ではなく、因果の折り重ねの中で生まれてきたものである

そう考えると、起こったことには、全て意味がある


今日の取り組みを通して、

四方拝の取り組みと対話を通して互いに受け入れる社会づくりは、ひとつのものだ

と私の中でつながった

別のことではない

世界より良い発展のための取り組みである


瞑想の中でもう一つ、強烈に浮かんできたことがある

お寺を軸にした宗教団体を活用して、

日本中の貧困と耕作放棄地や山林管理の問題解決の取り組みの構想である

お寺さんが中心となって耕作放棄地を所有し、困っていらっしゃる方々を受け入れて、この土地で食料を生産し、コミュニティを作っていく。

山林の管理を行い、山の恵みを頂いていく

地域通貨を導入し、経済環境とは異なる視点からの地域通貨流通を促進する生き方のモデル

そこに作っていく土地に課税されない宗教法人だからこそできる取り組みかもしれない

そして何より宗教の本来の救済の取り組みでもあるはずだが、できる日が来るだろうか


マザーテレサの死を待つ人の家を思い出しながらそんな思いが巡って行った 




2021年4月7日水曜日

四方拝 2日目

 今朝も5時に起きて、四方拝から始めた。

しかし、形が決まったことで、昨日より型が優先して、想いが入りにくい。

こういうことが起きるんだな、と感じることもまた良い経験。

そのまま胡坐の姿勢で、イメージの世界で感謝の想いを広げていく。

今日は少し長めだったかもしれない。終えた時は5時半を過ぎていた。


その後、着替えて昨日と同様にウォーキング。

歩く瞑想とはならず、いろんな思いが湧いてくる。

気になっていること、引っかかっていることなど。

それはそれで、また大切なことだからいいのだけれど、

ウォーキングが義務感になるのは嫌だな。

自然を感じ、朝の気を感じ、歩く瞑想になればいいかな。


形が決まって、それに従って行動するのは楽でいいけれど、

肝心の思いの部分が欠落していく怖さも感じる。


まだ2日目、これからどのように変化していくのか、楽しみでもある。

2021年4月6日火曜日

四方拝を始めてみた

大地に感謝、宇宙に感謝。
これまでの先人の歩みに感謝。
感謝の想いを巡らすとき、
とても満たされた気持ちになる。
そして、そこのことにとても深い意味を感じる。

その時に感じる至福な感覚を大切にしたいと思うほどに、
日常の生活よりもそちらを軸にした生き方こそが、
自分自身が最も優先して行うべきことだと感じていた。
一方で、それが現実からの逃避になりかねない危惧もある。

思うだけでは意味がない
4月5日、もう一人の私の声は、
時間を決めてなってみなよ!
と言ってきた。
実際に実践しようとした時に、


朝5時から1時間ほどの時間を
そこに当ててみればいいのではないか
それ以外の時間はこの世界で生きるために費やす
そのような取り組みをしばらくやってみようと
私の中の私が提案してくれた


やらなければならないからやるのではなく、
やりたいからやる取り組み
1日1時間、時間を取って、やってみよう!
どのようにやったらいいか思案する中で、
私の中の私は、四方拝のイメージを送ってきた。
四方を拝して、感謝をささげる。


4月6日、朝5時起床

最初に、四方拝をやって、それから瞑想のスタイルで感謝を広げる
そう思って、実際にやってみることにしたが、
方角の順番までは考えてなかった。
意識を整えると、北から東、南、西の順番のイメージが湧いてきた。
その順番に拝して感謝を伝える。

時間としてはすぐに終わるので、
そのまま胡坐の姿勢で瞑想のような状態で
意識を大地や地球の外、内、宇宙に向けながら
感謝の想いを広げていく。

地球の中は、国常立尊(くにのとこたちのみこと)のイメージがある。
中心から全方向に感謝の想いを広げる
地球の外から、抱くように包み込み、慈しむように感謝を伝える。
宇宙全体は、自らのカラダと重なる。全宇宙に感謝の思念を広げる。


20分ほどそういう時間を過ごした後、
着替えてウォーキングに出発した

30分ぐらいのつもりだったが、結局1時間。
そのウォーキングの最中に
湧いてくる様々な思いがあり、
いま自分の意識が向いてるところはどこにあるのか
ということを確認させてくれる

これも大切に扱わないと、家に戻った瞬間に消え去ってしまう

意識が現実を創ることを、もう少し念頭に置いた生活をしてみよう

朝の時間がゆっくりあるありがたい

そして、夜寝る前に、もう一度、感謝を伝えて休む


四方拝をネットで調べると、
いろいろと説明が書いてあるが、
私は、何かを願いのではない。
形ではなく、感謝を伝えたい想いが大事。
その思いが形をとるようになる。
ネットに書かれた四方拝を正式だとすれば、私の四方拝は邪道になるのだろう。
それでもいい。

大地を代表する東西南北の四方を拝して感謝の思念を
地球から宇宙、そして自分の内部広げることに、
「四方拝」という名称ラベルを付けただけだから。

2021年4月4日日曜日

私は一度も死んだことがない

 「私は一度も死んだことがない」

と聞くと、どう感じるだろうか?


私のカラダは、誕生前の受精卵からスタートする。

その受精卵は両親の細胞から一度も死ぬことなく引き継がれてきている。

そして両親も、またその両親から同じように、細胞を引き継いでいる。

細胞レベルで生を考える時、私が死ぬとき、私の細胞は初めて死ぬ


観葉植物のポトスが新たな葉を伸ばしていくようなイメージが広がった。


人生の青年期に、受精卵の形で、次の世代に引き継ぎ、

自分の人生が終わるまで、葉を広げていく。


誕生から青年時代までの「茎」が

何世代にもわたってバトンを引き継いでいく

そして、その後の時間は、

葉を広げて、光合成によって養分を本体に送っていく

やがて葉は枯れて、役目を終えていく。

その時初めて、「私」の細胞は死を体験する。


私の中の細胞は、悠久の歴史を生きてきて、

その歴史の最先端に立つ存在。

矛盾した潜在意識/苦しみや悲しみに寄り添う

 つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。 今朝は朝から天気が良かったので、大きな神社まで約3Kmの早朝散歩。 歩きながら、そして立ち止まって、いろいろなことに想いが巡った。 ●矛盾した前提を抱える「私」 自分の中にある暗黙の前提に意識を向けてみると、いろ...