2021年11月29日月曜日

葛藤、苦しさ、悲しさ、憎しみも、大切な私の一部

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。

朝晩の簡単な四方拝であっても、
リアルにまたはオンラインで出会った方々との
やり取りが浮かんでくる。
つながりの中に生かされていることを感じる。

そのつながりや関わりから、
たくさんの刺激や気付きをいただいて、
自分自身が大きくなっていく。
本当にありがたい。

そのままでも十分にいいんだけれど、
交わり関わる中で、
自分とは異なるたくさんの視点、
情報、知識などをいただくことができて、
それが刺激的でとても面白い体験になっている。


楽しさや嬉しさも大切だけど、
苦しみや悲しみを通してしか味わえないこともある。

葛藤、苦しさ、悲しさ、憎しみなど、
一見ネガティブな負の感情であっても、
それが湧きおこる源には、
私が大事にしたい大切な想いが眠っている。

憎しみの背後に、
分かり合いたいから、
こんなに努力しているのに
分かってくれない、
という想いがあるとしたら、
それに気づくだけでも大きな収穫。

分かり合いたい自分がいるんだな。
そのために努力している自分がいるんだな。
分かってくれないことを悲しく思う自分がいるんだな。
自分自身のことが見えてくる。

自分のことを分かってもらおうとするのと同じくらい、
相手のことをわかろうとしていたのだろうか?

ハッとするような気付きに至るかもしれない
同じ表現の言葉を使っていても、
その言葉に込めた意味や想いは人それぞれ

異なる態度や表現であっても、
その背景には同じような想いがあることもある

込めた思いのすり合わせは、手間も時間も掛かるけど
そのプロセスはとても有意義

ここに意味を見出せるかどうかで、
関係のあり方が変わってくる

ありがとうございます。

2021年11月27日土曜日

理知性と身体感覚のバランス

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。


昨日一昨日と、活元運動の動画を見ました

今朝は四方拝の後に、自分なりに活元運動をやってみました。


愉気法で少し気の流れを整えてから、

正座した状態で息を吐きながら腕を挙げて・・・

カラダに意識を向けると、首肩を中心にいろんなところが固くなっている

カラダが動きたいように、動いてもらう

ゆっくり動くときもあれば、激しく動くときも

体が温まっていくのが分かる

15分くらいやって、正座して、息を吸いながら腕を挙げて・・・


理性、知性を脇において、

カラダの声を聴きながら、

求めに応じて動かしているような

勝手に動いているような感覚


傍から見たら霊動しているように見えるかもしれない

でも、意識はしっかりとある


ゆる体操のような

フリースタイルの気功体操のような

ああ、本質は同じなんだろうなぁ

と感じる時間でした。


私たちの身体は、

普段は理知性(天津神)に治められていますが

身体に無理が掛かっている面もあるので、

ときに身体本来の感覚(国津神)に委ねて、

バランスを図ることも必要かもしれません。


共に私たちのことを大切に想って働いてくださっているので。


これからの時代は、

両面のバランスというか、調和の中に

生きていくことが求められているように感じました。


2021年11月26日金曜日

禅、マインドフルネス、古神道 つながりと関わりからの気づき

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。


随分と前になるが、

知人Nさんから身体感覚についての参考図書として

野口三千三さんの「原初生命体としての人間」を紹介してもらい、

そこから野口体操を知った


また、こちらも随分と以前のことだが

知人Sさんから活元運動のお話を聴いて

そこから野口晴哉さんの野口整体を知った


先週のマインドフルネスの学びの機会に

仏教・禅と精神医学、心理学とのつながりに触れ

リーダーシップの世界でも

自己認識が起点とされてきていることを知った

ここでは、図らずも

丹田で直接呼吸するイメージが広がった


日本におけるコロナの急速な収束原因を調べる中で

伯家神道の「祝之神事」のことを知った

そこから

保江邦夫氏や七沢賢治氏につながって、

言霊と古神道の考え方に至った


天津神と国津神を、

メタの関係で捉える新解釈が広がった

また、

理知性と身体性(身体に備わる本性的な機能)として捉えると、

天津神主導の時代から

天津神と国津神の統合の時代へ

と移り変わっていくことが見えてくる


また、活元運動が

錐体外路性運動系に働きかけることによる

自己回復法である点は、

古神道の霊道法に通じることを知った


活元運動の愉気法は、呼吸と気を使ったアプローチ。

指の先まで気を通す意識は久しぶりだった


マインドフルネスの呼吸にもつながる


丹田での直接呼吸のイメージ・感覚と

全身の末端まで気を通す感覚の

統合を意識するようになった


また、別のルートから

神道の祭壇配列の智恵と

生命樹(セフィロト)の関係に触れ

探究テーマとして残っている



ここ数日できた点としての出来事が

どんどんつながって、

新たな感覚が広がっていく


つながりと関わりのありがたさを感じる


ありがとうございます。


2021年11月22日月曜日

宇宙、大地、身体

つながりと関わりの中に生かして頂いて、ありがとうございます。

 

朝の四方拝を終えて、感謝の時間

 

ふうっと力を抜いて

自分の身体を感じることに意識を向けると

心の思いも含めて

リラックスしていくことができる

 

無意識に力が入ってたんだなあ

と、改めて感じる瞬間

 

いつのまにか無意識のうちに、

感謝を捧げる

感謝を捧げなければならない時間

という囚われが

自分の中にあったようだ

 

一昨日、図らずも

マインドフルネス瞑想を体験する機会があった

呼吸や瞑想の基本に立ち返るきっかけになった

それが今回はとてもプラスに働いた

 

他人のガイドの中での瞑想は、

時には良い刺激になるけれど

「常に」となると

また別の問題があるような気がした

 

それは、

立禅、動禅のあり方を模索していきたい

という思いがあるからこそ、

余計にそう感じるのかもしれない

 

私の心の内は、

何か定まった型があってそこに定着する

という感じではないようだ

 

「まだ何か違う」と思うこともあるし、

「あのときの感覚をもう一度!」

と以前の充実感を幻影のように追い求めることもある 

 

常に探求し続けている試行錯誤の状態

それもまた、

試行錯誤という定まった形なのかもしれないが・・・

 

今朝は

感謝を捧げようとグッと力が入った状態から

ふっと力が抜けて

自分の体を感じ

自分の体の隅々まで

「ありがとう、ありがとう」

という感覚が湧いてきた

 

地球と世界に宇宙に思いを馳せる段階もあれば、

実際に身体のある地域の大地、土地の存在に意識が向くときもある

 

そして今日のように

自分自身の身体に宇宙を感じ意識が動く時もある

 

今月は、

この3つのステージを

順番に味あわせてもらっているようだ

 

それぞれの意識の所在は違うけれど

どれもすべてを包含している


ありがとうございます

ありがとうございます

ありがとうございます 



2021年11月17日水曜日

早朝の散歩に出る

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。

 

朝起きて、四方拝後に

昨日同様、動禅のイメージで

早朝のウォーキングに出た

 

家の敷地への感謝

地域の大地への感謝

 

一歩一歩踏みしめながら

骨盤も意識して、カラダへの感謝

途中に目にする古い時代の無縁墓地への感謝


  

意識が内面に向くのはいいが、

外界を感じることが少ないような気もする

 

自分の意識の中に閉じこもって

外からの刺激を十分に受け取っていないかもしれない

バランスの難しさを感じる。

 

もう少しゆっくり

足の裏の刺激を

身体が受け止めていることを感じながら

歩いてもいいのかもしれない

 

薄暗い朝の景色の中を

黒い影が低く滑空していく

鳥かな。。。


朝日が徐々に昇って、

オレンジの太陽が全形をあらわす


ありがとうございます


2021年11月16日火曜日

ヨモギ

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。


四方拝後に、

動禅のイメージで

早朝のウォーキングに出た


久しぶりの外歩きだったためか、

外界からの刺激に流れて、

意識が定まらなかった


それでも、

早朝の外の空気は

気持ちがいい


雑草の中にヨモギを見つけた

たぶんヨモギだと思う


幼いころに

祖母と一緒にヨモギを摘む手伝いをしたら

ヨモギとそうじゃない草の区別ができずに

これは違うよ

とダメ出しされたことを思い出した

懐かしい思い出


それ以来、ヨモギを区別することを

学んだことはないので、

いまだに区別することに自信はない


そんな昔の祖母との記憶も

思い出させてもらった朝だった



2021年11月15日月曜日

世界の捉え方と言葉

つながりと関わりの中に生かして頂いて、ありがとうございます


●宇宙をどのように捉えるか

捉え方は様々あれど

自分がもっとも捉えやすい捉え方をしたらいいのだろうか


「原初生命体としての人間」(野口三千三)では

菌類の住処として人の存在を見るという視点を学んだ


マクロの宇宙の要素とミクロの脳の神経細胞のネットワークイメージが

相似形をしていることから、

人とは小宇宙であると捉えることもできる


●ことば

言葉が発せられたときに、はじめて認識される。

発せられる前までは、形のないものである

そういう意味で、

言葉にすることは、

物事の捉え方を固めていくことである


言葉によって捉え方が固定化されてくことは、

そのような世界が自らの前に広がっていく

つまり作られていくということである


この言葉にすることによって

物事が実現していくということは

そういうことではないだろうか


軽々しく言葉を発してはならない

と言われるのも同様の理由からであろう


「沈黙は金」とされる背景にも、

同じような事があるのかもしれない



●生きる上でのオペレーティング・システム


社会構成主義はこうした考え方の

オペレーティング・システムである


その OS の上にナラティブやオープンダイアローグ

学習する組織などのアプリケーションが走っている


しかし

現実の世界のオペレーティング・システムは

別のものである


異なる OS の上に

社会構成主義のアプリを載せるので

うまく機能しない


このような事例はたくさんありそうだ 


そもそも同じ表現を使っていても

その言葉の定義が違うのに

定義の違いを確認しないまま

議論を進めるために

認識の違いから衝突が生じる


社会構成主義という OS

誰にとっても認めうる客観的な真実が存在するとする OS

世界は創造主によって創られたと考える唯神論的OS

偶然と進化によって形成されてきたと考える唯物論・物質主義的 OS 

多次元のエネルギー場が存在すると捉えるOS

などなど


そうした OS 自体が

証明することのできない仮説であり、

そう考えた方が現象を合理的に捉え

自らの人生が生きやすくなるために、

選択されているものである


つながりの中から生まれてくる発想、思考の展開

今日は、心の動きよりも、

思考の動きが活発だった


ありがとうございます。


2021年11月14日日曜日

「あたりまえ」を外してみる

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。


私たちの思考や判断の前提は、

無意識のうちに

帰属する社会の影響を大きく受けている。


生れ落ちて以来、

常にその影響にさらされているのだから、

その社会で生きていく上で、

必要なことでもある。


そうした影響を一つずつはぎ取っていたら、

つまり、

生まれたばかりの状態をイメージしてみると、

剥きたてのゆで卵のように

弾力性のある純白な球体のような感覚だった。


その上に、

いろんな「あたりまえ」が

少しずつ塗られていく


その「あたりまえ」を身に着けたお陰で

この世界で生きていくことができる


ありがたい


その反面

異なる「あたりまえ」の世界では

この世界の「あたりまえ」が

邪魔になる


いろんな「あたりまえ」があることを知った上で

「あたりまえ」から、ちょっと距離を置いて

自分が感じることを味わってみたい


とても静かで、

穏やかで、

満たされた感覚が

訪れた


ずっとこのままだと

この世界では生きていけなくなりそうだけど

ときどき

味わってみたい!


2021年11月13日土曜日

過去と未来の自分に「ありがとう」

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。

四方拝を行いながら、
未来か過去の自分に向かって行っているような感覚になった。

ありがとう

君がいてくれたおかげで
今の私がある

その苦しみも、辛さも
すべてが学びと成長の糧となって
今の私を創ってくれている

その喜びも、嬉しさも、
すべてが豊かな支えとなって
今の私を創ってくれている

ありがとう

未来の君がいてくれるお陰で
前向きな想いを生み出すことができる
今の歩みをがんばれる

すべてのことが
このままずっと続くわけではないことを
知っているから

空間的なつながりと関わりだけではなく
時間軸のつながりと関わりも

とてもありがたい!

ありがとうございます。

矛盾した潜在意識/苦しみや悲しみに寄り添う

 つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。 今朝は朝から天気が良かったので、大きな神社まで約3Kmの早朝散歩。 歩きながら、そして立ち止まって、いろいろなことに想いが巡った。 ●矛盾した前提を抱える「私」 自分の中にある暗黙の前提に意識を向けてみると、いろ...