2020年4月16日木曜日

表現への渇望と理解されること

NHK ETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界 〜海外の知性が語る展望〜」を観た

新しい知識や知見を得て、
それに刺激されて、
自分の中に新たなアイデアが生まれると
言葉にして発信したくなる

そして、ブログやSNSなどにアップして
閲覧していただいた方の数や反応を見ると
とても心が動かされる

予想以上に反響があった時
予想に反して反応がなかった時
批判的なコメントがあった時
自分が伝えたいことと異なる捉え方をされた時

自分の意識は、大きく引きずられてしまう
閲覧者の反応という現象面に捉われてしまう

ゴッホは偉大だった

多くの芸術家が、
生前は評価されることなく
いや、むしろ否定される中で
活動を継続していた

うちから湧き出でる衝動をエネルギーとして

他人から理解されることよりも
自らの内なる表現への渇望が勝った

新しいことは、すぐには理解されない
これまでになかったことだから

理解されることは、迎合することでもある

その狭間で、
多くの芸術家・文筆家・科学者などが
苦しんできた

と、同時に、
その狭間に橋を掛ける存在がいたから
後世に残った面もある

さあ、私はどんな道を選ぶのだろうか

2020年4月12日日曜日

意識と無意識の狭間

意識と無意識の狭間ーーふと湧いてくる思いを大切にするーー

散歩しているとき、
お風呂に入っているとき、
キッチンで皿を洗っているとき
自分でも気づかないうちに、頭の中でいろんな思いが巡っている

人間関係がうまくってない時は、
そのことがグルグルと浮かんできたり、考えたりしている

嬉しいことが浮かんでくると、
思い出して、思わずニタニタと笑みがこぼれる

そこには、自分自身が
 気になること
 心配なこと
 執着していること
 囚われていること など
様々な 心の中の風景が現れてくる。

また、同時に、
どんな取り組みを望んでいるのか、
自分自身の深い思が見えやすくなり、
その取り組みのヒントも 一緒に出てくる。
ありがたい!

そして、ふと我に返ると
あれ、いま何を考えていたんだっけ???
夢を見ていたかのように、
すーっと消えていく。

この知恵を、
自分の中から取り出すためには、
身体を緩めることが必要。

というか、自然と身体が緩んでいる時に
起こる気がする
瞑想の時と同じように。

心を静めて、半覚醒の状態の時に、
意識に上がってくる。
浮きあがってくる。
顔を出す。
といった方がピッタリかもしれない。

それは、自分自身の心と体の健康にとっても
大切なひと時でもある。

禅宗の坐禅は、
体を休め、睡眠不足を補う上でも、
とても意味のある行為だったのではないか
と感じることがある。

一方で、
無自覚に外部の思念に大きな影響を受けてしまうリスクもありそうなので、
 よくよく気をつけないといけないようにも思う。

矛盾した潜在意識/苦しみや悲しみに寄り添う

 つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。 今朝は朝から天気が良かったので、大きな神社まで約3Kmの早朝散歩。 歩きながら、そして立ち止まって、いろいろなことに想いが巡った。 ●矛盾した前提を抱える「私」 自分の中にある暗黙の前提に意識を向けてみると、いろ...