朝起きたばかりなのに体が重い
なかなか目覚めなくてボーっとした意識の中で始める
しかしこのボーっとした状態がいいのかもしれない
なかなか目覚めなくてボーっとした意識の中で始める
しかしこのボーっとした状態がいいのかもしれない
四方拝の動作の時に、
宇宙と自分が一体だという知性・思考の働きと同時に、
個としての自分の意識を超えていない、がっつり個の意識の中にある自分がいる。
そのことに違和感を覚えテイル自分に、やや満足感がある。
個の意識の中にあるのであれば、
様々な個(守護してくださっている存在)に対して感謝を捧げよう
瞑想の中で、体が重くて何も考えたくない状態を感じる
ある意味では、これは理想的な瞑想の意識状態なのかもしれない
ある意味では、これは理想的な瞑想の意識状態なのかもしれない
感謝を捧げなければならないという義務意識になった瞬間に、
無理に意識をそちらに向けようとする力が働く
それは湧いてくる思いではない
それは湧いてくる思いではない
考えることすら億劫な状態を味わいながら、かすかに湧いてくるものを感じ取る
地球のイメージがいつもよりやや小さく、
しかし同時に自分の内側にとても近い
過去の様々な歴史上の思念の交錯にも意識が向かないが、
それらを踏まえた上で新たに動くことが求められていると感じる
これまで、恐れや不安から逃れ、相手に勝つことを望んで、ものが生み出されてきたとするならば、相互に受け入れあい新たな知恵が統合される中から生み出される状態をこの世界に顕現させることが求められている気がする
その実態となるモデルになれ!
貧困や活動が恐れや不安を生み出し、
その実態となるモデルになれ!
貧困や活動が恐れや不安を生み出し、
そこからのエネルギーで世の中が発展した来たとするならば、
新しいやり方で現世の富も得ていけるような
道筋をつけたほうが良いのではという思いが湧いてきた
同時に、ラマナ・マハルシが浮かんできた
ラマナ・マハルシのように
ラマナ・マハルシのように
何もない中で心の平安を大切にして生きていく生き方こそが、
現世を越えた真の生き方なのではないか、という思い
従来のこの世を軸に判断して動いていく生き方から、
永遠の魂の成長のためにこの生の期間をどう過ごすべきか
という視点から取り組んでいく生き方へ
切り替えていく
そのモデルであることが求められている
私が進むべき行くべき道はこの方向なのだろうと感じる
セルフコアと価値観、経験
・・・経験の中から価値観が強化されていくとするならば
それもまた執着せずに手放すべき対象なのだろう
価値観を探ることは、自分の経験の積み重ねを探ること
自分の中に生じた無数の縁を確認していく作業に過ぎないのかもしれない
自分の中に生じた無数の縁を確認していく作業に過ぎないのかもしれない
人の真の存在価値はそういったものを超えたところにある
一人一人が実にユニークな存在で
一人一人が実にユニークな存在で
他に変えることのできない価値をもつ、ひとつの宇宙なのである
こうして毎日積み重ねるごとに、
深まっていく感覚がある
同時に、感謝の四方拝と瞑想を振りかえりながら
言葉に置く作業自体に解釈が入って行く怖さも感じている
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