2021年4月25日日曜日

糞掃衣のお坊さん

意識を切り替えて感謝を捧げるのではない
湧いてくる感謝を言葉にすること
人体の細胞30~40兆、そしてそれ以上の常在菌
それらのすべてが働いてくれて今の私が存在する
内と外の複雑で精緻で 微細な関わりの中に今の私が存在する
関わりの中に存在させて頂いて、生かして頂いてありがとうございます
 
感謝の瞑想は、
自らが感じていることを感じる瞑想となり
自らの内なるもう一人の私との対話の時間となった
それは祈りであり、内在神との対話である
 
私の中には糞掃衣を纏ったお坊さんがいる
本質を大切にして、虚飾を嫌い、心の働きに意識を向けている
一休禅師のようでもあり、良寛和尚のようでもある
 
私はそのお坊さんのあり方に、深い敬意と帰依の思いを抱く
一方で、現実世界で生きていくためにバランスを図ろうと
そのお坊さんのあり方に葛藤してもいる
 
しかしまた、そんな私も
現代社会のお金の制度を信頼できないでいる
根拠のない印刷された紙に過ぎないものに
国家の信用によって価値を付与している
その国家の信用自体がとても危うい
 
それに、
お金があっても
よりよい地球をつくるためにどのように使われるのがいいのか
何に使うのか
私の中で、明確ではない
だからまだ、お金があることの必要を感じていない
必要になったら必ず入ってくる
 
しかし今はまだビジョンがない
必要性を感じていない
だからおそらく
お金を稼ぐことに強烈なブレーキをかけている自分自身がいる
 
地球を抱いて、より生きやすい、住みやすい世界にしていきたいという思い
喜びと笑顔が溢れるというよりも
いろんな困難苦難があったとしても
そこに意味を見出し、自らの成長に繋いでいって
よかったと思える世界を作っていきたい
 
そのために意識の成長に取り組んでいく
 
人間力を高めていくことを支援する
 
 
学士様が農村に行って、
農村の常識をあたかも自らの新発見であるかのように
学会に発表していく
ヨーロッパ人が、南北のアメリカ大陸に到達し
「新大陸の発見」と表現するのに似ている
 
自らの狭いフィールドの中にフレームを作って、
そこに外の世界のものを持ち込む
そこにどんな価値があるのか理解に苦しむが、
高い評価をえてきたことは間違いない 
 
そんな社会のあり方の中に、
自らを同化させることはしたくはない
 
私の中の糞掃衣のお坊さんはそう言う
 
 
対話の中で、深い情報が流れ込んで、処理しきれない
 
これまで言葉にできなかったことが、言葉になったり
曖昧でぼんやりしていたことが、整理されたり
また、拡散していて、曖昧になっていったり・・・
 
いったん打ち切って、整理しよう。
意志さえあれば、いつでも対話できるのだから。

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