2021年4月20日火曜日

視界の悪い靄の中を歩む

 ●四方拝
何に感謝を捧げるのか意識をそこに向けて確認
存在する全てのもの関わりある中で
今、私がここにあることができる
「生かして頂いてありがとうございます」
その思いをもって四方拝を行う
 
●感謝の瞑想
瞑想に入って、いつもとは違う感覚が湧いてきた
最初に宇宙の中心で感謝を伝えることをやろうとしたけれど
そのこと自体がすでに思考によってコントロールされているように感じた
 
何も考えたくない状態こそが
瞑想としての深さを生み出すとするならば
これまでの毎日の瞑想は
思考によって組み立てられたのかもしれない
 
先にイメージを描いてそれに沿って
思考を走らせていたのかもしれない
そのイメージを描くこと自体が
思考の影響を受けている
 
考えることが億劫な状態の中で
呼吸に意識を集中させる代わりに
ただただ、心の中で「ありがとう」とつぶやく
手の指の先に流れる血流を感じる
 
そしてその中で浮かんでくるイメージがある
確認して脇に置こう
  
苦しみや悲しみ恨みの思いを浄化するのは、
存在意義の再確認であるとするならば、と
日本において戦争でなくなった方々
その時代を苦しみながら生きた方々
に意識を馳せてみた
 
その方々が現代の日本を見てどう思われるだろうか
こんな社会を作るために命を捧げて犠牲になってきたのか、
と思うと無念でならないかもしれない
 
しかし、それですら一面的な見方にすぎない
 
戦争時の尊い犠牲があり、
その後の耐えしのぶ時代があったからこそ
かつては夢のように思えた便利な社会が実現した
そこにはたくさんの笑顔があり、幸福感があり、希望があった
 
同時に、その便利さゆえに多くのものが失われた
倫理や道徳観、他のために奉仕協力する精神、
神仏を大切にすること、先祖を祀ること、 
周囲の人との絆など
 
それもまた成長発達のプロセスの一段階
 
戦中・戦後の犠牲がなければ、
そのプロセスを登っていくこともできなかったのかもしれない
誰かの指揮命令に従って生きていくことが当たり前の時代から
一人一人が主体性と自主性をもって、
自律的に生きていく時代に変化してきた
 
その副作用として、
退廃的で享楽的で刹那的な面が浮かび上がってきた
 
それもまた私自身である
 
それらの一つ一つに向き合い味わい限界を感じ超えていく
そして次のステージに移行していくことを思えば
無駄なものはひとつもない
 
そして歴史の断面だけで、時代を評価してはならない
繋がって次の時代が作られているのだから
 
私自身の生き方として
おぼろげながら
個人、対人間、組織の発達段階について取り扱いながら
人材開発、組織開発を行なっていこう
という方向のイメージがあったが
それすら私の思考の作り出したものなのかもしれない
 
何をやってもいいし、やらなくてもいい
こだわるものは何もない
 
楽をしたいから、努力を惜しまない
無駄にしたくないから、溜め込んで行く
 
朝の瞑想で何も考えずに
ただただ体を緩めて、体を感じて、
そこに繋がる世界を感じて
・・・それからどうするのだろう
 
また、見えなくなった感覚
混沌の世界に入るのか・・・
靄の中を走り、視界が晴れたと思ったら、また靄の中
視界の悪い靄の中を進んでいくのが人生なのかもしれない
 
こうして朝の瞑想とその記録を続けながら
どんどん新しい面が開けていく
それが良いのか、悪いのか
全くわからないけれども
どのように展開していくのかは興味深い

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