2021年4月17日土曜日

思い込みを取り外す

慈愛に満ちた宇宙
慈愛に満ちているということは、
応援するように、いつも守り寄り添っている存在を感じる
そこに愛を感じる

四方拝を通して全ての存在に感謝を捧げることを意識しながら
高校生の自分が、スウェーデンボルグの本に出会った時のことを思い出した

かたくなな強い思い込み
新たなものを注ぐのにどれだけ大きなエネルギーが必要だったのだろうか
そういう取り組みをしてくださったことに対しての感謝が湧いてきた

直接感謝を伝えることができるわけではないけれども
そういう思いをきちんと返していくことはとても大切なことだと思う

全ての事に感謝を捧げるということは存在そのものに対してだけではなく
出来事や過去の行為に対してもそうなのかもしれない


今日は最初に、宇宙の中心=自分の中心から感謝を送った
いつもとは逆の順番

そして大地の神、天の神に対する自分自身のイメージ・先入観を取り払うことを意識した

人類の営みによって、地球自体にものすごく負担がかかっている
それを嘆き悲しみ苦しみ何とか支えてもらっているというイメージがあった

確かにそういう面もあるかもしれないが
火星の荒廃を見ると、
干渉すること以上に
人の自由意志の尊重が優先していることを感じた

そんな中で、地域の氏神様はどんな役割を果たされてるのだろうと思いが巡った
氏神と産土神、産土紙は大地の生命に関わる神様、祖霊を祀る氏神
本来の役割は違うけれども、
土地に長く一族が住むと産土神と氏神は重なってくるのだろう

産土神は、命をつかさどる大地の神に繋がる
祖霊を祀る氏神は命の根源に繋がる
縦と横の関係かもしれない
両方ともに重要であり大切なものだ


日本各地、世界各地の歴史の中に、
多くの恨みや悲しみ憎しみなどの思念が残っている 
今までは、どちらかと言うと、
そうした情念をどう浄化したらいいんだろうかと意識が向いていた

しかし、
貧しい中にも笑顔があり、
親子の喜びがあり、
友とのつながりがあり、
そうしたポジティブな情念も積み上げられてきた

そしてこの世での生を終え、
次の世界にいくとき、
そうした情念の感覚が引き継がれていく

一見するとポジティブな情念が良さげに見えるけど、
その両方を味わうがゆえに
喜びや嬉しさ楽しさの味わいが深まる部分もある

決して一方だけで十分なわけではないのだろう

苦しみ、後悔し、もがき苦しんだが故に、
同じことは二度としないと強く心に誓い、
前進し改善してきたこともたくさんあったに違いない

全てに意味があり、一つ一つの出来事が今の自分を築いている

自分が味わってきた全ての情念に感謝をしつつ、
全てを受け入れよう
楽しさや喜びに感謝をすることで、
過去の苦しさや悲しみ辛さを解いていこう
今のこの便利で恵まれた生活ができるのも
歴史上の世界各地の様々な悩みがあったから

そこにはたくさんのネガティブなこともあったかもしれない
誰にも正解が分からない中で、
試行錯誤しながら進んできたのだから、
やむを得ない面もある

そうした過去の「犠牲」の上に
現在があることを忘れず感謝を持って今を生きる

それが過去を清算する最も近い道なのかもしれない 

こうして朝の感謝の瞑想をしながら
それまでの自分の中には無かった新たな視点からの気づきや意識の広がりが
とても面白い
日々前進している感覚を与えていただいている
とてもありがたい

2021年4月15日木曜日

すべての存在に感謝を捧げる

四方拝の前に少し意識をしてみた
四方拝は、
あらゆる存在に対して
感謝を伝え捧げる時間であり、行為である
★
瞑想に入る
★
無念の思い恨みの想いをもって亡くなっていった方々の意識も
その存在が何らかの影響を与えて、次の時代を作ってきた
一見ネガティブでマイナスに見えるその状態も、
それがあることで気づきや学びにつながった面があるに違いない
★
現に私自身も、そういった存在を恐れて遠ざけるのではなく、
思いを寄せて共感しその無念さを少しでも慰めることで
浄化していくことを知った
そういう意味で、
全ての存在全ての守護してくださる存在、
物質的な存在、霊的な存在、
あらゆる次元のあらゆるものに対して、感謝を捧げよう
★
地球に縁のある全ての存在、次元の異なる存在も含めて、
守護する存在も攻めようという存在もすべて含めて意味がある
★
第2層から見ていかないと、
全てに意味があるという視点に立つことができない
自分の身の回りの出来事の意味を感じ取らなければ
次元の違う存在に対しての意味を理解することができない
★
地球上のあらゆる残念な思いを持った存在に対して
長い時間軸で見た時に、
一つ一つに意味があったことを伝える
そして感謝を捧げる
ポジティブに前向きに頑張ってきた魂
それが模範となったこと、希望となったことを伝えよう
そして感謝を捧げる 
★
それらを踏まえて現実社会とどう関わっていくのか
現実社会にどう働きかけていくのか
それが今、私自身に問われている
自分自身の軸をしっかり定めて行こう 
★

2021年4月14日水曜日

すべての存在に感謝!

四方は全ての空間と時間を象徴して いる
時空を超えて 守護する存在への感謝を捧げる
宇宙は愛に満ちているとするならば その愛のエネルギーを 満たしていく一助になりたい

瞑想の始まりは何も考えていない力の抜けた状態
半分眠ってるような、ある意味理想的な瞑想の状態
久しぶりに近くの座禅会に行ってみようかなとさえ思えてきた 

四方拝の時はそこまで意識できていなかったけれども
瞑想しながら探求していくと
天地人、天は天津神、地は国津神、
天地の双方で人を守っていただいている

各分野、各領域、各地で、
その地やその地の人々を守ってくださる存在に
感謝を捧げることで、力を得ていただきたいと思っていた

宇宙の根本が慈愛のエネルギーであるとするならば、
その愛のエネルギーを満たしていく一助になって、
自らがそうであったように、
その恩恵を受ける方々の助けになればと思っていた 

人は、そもそも、存在においては完璧な存在であり
様々な体験を味わうために
あえて自由意志を持って、個として存在している

そのことによって、
地球を滅ぼしかねないような状態にまで、
来てるのかもしれないが
それでも人知では計り知れない縁(えにし)によって
お互いに関与しながら影響している

その事によって、
自らの気づきや学び成長が起こることを考えるならば
全ての存在に対してありがたい思いが湧いてくる
全ての存在に対して感謝を捧げる想いになる

小林正観氏のありがとうのメッセージは
まさにそのことを伝えているのかもしれない

スパイラルダイナミクスが説く第2層に至った存在は
そのことを理解しているのかもしれない

第2層の意識から世界を創ってみたら
どんな世界になるのだろうか
そんな世界を見てみたい

漠然としていた感謝する思いが、
ようやく至るべきところに至った感じがする

守護してくださる存在だけでなく、
全ての存在に対して感謝を捧げて行く

生かされていること自体、
この世に存在していること自体に、
感謝を捧げていく

ありがとうございます


さて、ここからは、
ではその状況の中で私はこの世界で
どのような生き方をしていくのか
どのような生き方をしたいのか
具体的なイメージを描き
戦略を立てて行くのも悪くない

2021年4月13日火曜日

何も考えないことを味わう中で

朝起きたばかりなのに体が重い
なかなか目覚めなくてボーっとした意識の中で始める
しかしこのボーっとした状態がいいのかもしれない

四方拝の動作の時に、
宇宙と自分が一体だという知性・思考の働きと同時に、
個としての自分の意識を超えていない、がっつり個の意識の中にある自分がいる。
そのことに違和感を覚えテイル自分に、やや満足感がある。

個の意識の中にあるのであれば、
様々な個(守護してくださっている存在)に対して感謝を捧げよう


瞑想の中で、体が重くて何も考えたくない状態を感じる
ある意味では、これは理想的な瞑想の意識状態なのかもしれない

感謝を捧げなければならないという義務意識になった瞬間に、
無理に意識をそちらに向けようとする力が働く
それは湧いてくる思いではない


考えることすら億劫な状態を味わいながら、かすかに湧いてくるものを感じ取る

地球のイメージがいつもよりやや小さく、
しかし同時に自分の内側にとても近い

過去の様々な歴史上の思念の交錯にも意識が向かないが、
それらを踏まえた上で新たに動くことが求められていると感じる

これまで、恐れや不安から逃れ、相手に勝つことを望んで、ものが生み出されてきたとするならば、相互に受け入れあい新たな知恵が統合される中から生み出される状態をこの世界に顕現させることが求められている気がする
その実態となるモデルになれ!


貧困や活動が恐れや不安を生み出し、
そこからのエネルギーで世の中が発展した来たとするならば、
新しいやり方で現世の富も得ていけるような
道筋をつけたほうが良いのではという思いが湧いてきた

同時に、ラマナ・マハルシが浮かんできた
ラマナ・マハルシのように
何もない中で心の平安を大切にして生きていく生き方こそが、
現世を越えた真の生き方なのではないか、という思い

従来のこの世を軸に判断して動いていく生き方から、
永遠の魂の成長のためにこの生の期間をどう過ごすべきか
という視点から取り組んでいく生き方へ
切り替えていく

そのモデルであることが求められている

私が進むべき行くべき道はこの方向なのだろうと感じる

セルフコアと価値観、経験
・・・経験の中から価値観が強化されていくとするならば
それもまた執着せずに手放すべき対象なのだろう

価値観を探ることは、自分の経験の積み重ねを探ること
自分の中に生じた無数の縁を確認していく作業に過ぎないのかもしれない

人の真の存在価値はそういったものを超えたところにある
一人一人が実にユニークな存在で
他に変えることのできない価値をもつ、ひとつの宇宙なのである

こうして毎日積み重ねるごとに、
深まっていく感覚がある

同時に、感謝の四方拝と瞑想を振りかえりながら
言葉に置く作業自体に解釈が入って行く怖さも感じている

2021年4月12日月曜日

個を超えたOneness意識と個々を大切にする思い

朝起きてすぐではなく一呼吸おいてから取り組んだ 
感謝を捧げるイメージを明確に持つことが大事

それがないと、だんだん「形だけ」になっていく恐れがある
そしてこれは、世の中でよく起こっていること
いつのまにか形骸化して やること自体が目的になる

私の朝の感謝の時間のイメージはどんなものなんだろうか
地元の氏神様にお参りする時に、明確に主体を意識するのと同じように、
四方を守護する存在への感謝を意識して臨む。
北は妙見、北斗七星が浮かんできた。
他の方位は具体的な存在というよりも方位を代表して、
その地を護っていることへの感謝なのかな

今日は全般的に、いつもよりぼんやりとしたかすかな感覚の中で進んでいった
そのぶん言葉の制約がなく、大きな意識の広がりがあったように感じるが、なかなか文字に残しにくい

地球の両極を軸として西回りと東回りに、
感謝で浄化する二つの半円球の物体が、地球の周りをまわっている

世界各地、日本各地に歴史を通して積み重ねられてきた恐れからの争い
そして、そこで命を終え、その地に呪縛されている存在が多数あること
それらに感謝を伝えて、存在に価値があったことを伝える
様々な先人たちの歩みがあったおかげで、その土台の上に現在がある
本当に複雑に影響が関わりあった中で、現在が紡ぎ出されてきている
一つとして無駄なものはなかったと思う

地球の各地にそうした感謝の思いを伝えていくことで、
無念な思いを持ちながら、その地に残ってしまった思念を浄化し、整えていく

そして同時に地球の外から5ヵ所の地球の浄化のために大きなレンズのようなもので太陽のエネルギーを集約照射しているイメージが広がって、地球を包む大きな層になっていった
地球の大気ヴァンアレン帯、オゾン層など地球の周りを取り囲み、地球の生命が生きやすくするための層は、同じようにこうしてつくられていったのかもしれない

天津神と国津神の関係も、かつては様々あったかもしれないが、
今は融和していく関係になっている
それぞれに人を守り大地を守り、育んできてくださった存在であり、
いまは垣根を越えて、ひとつの大きな形として関わってくださるようになってきた
その関係のあり方が雛形となって、現実の世界に反映していく
二項対立から融和の流れに変化をしてきている

こうした感謝の時間は、
自分の実生活の方向性と同じベクトルの中にあることを
認識することができるようになってきたためか、
現実の様々な取り組むべき意識が流れ込んでくる

すべては一つなので、ワンネスとして一緒に取り組んでもいいのだけれど、
しかし曖昧なまま大きく1つだと思い込むのではなく、
正に自分の体の各パーツに感謝を捧げるのと同じように、
一つ一つを大事にしていくことも大切なことである

しかし同時に融合したエネルギーはとても大きな力を持つ
私を含めて全てが大きなエネルギーの一部として全体としてつながっているのだから 

※ワンネスを意識する時、個の意識を越えられているかどうかのチェックは必要みたいだ

2021年4月11日日曜日

感謝のエネルギー、宇宙を慈愛で満たす

 体がとても疲れている
7時に起床し7時10分前から始めたが、なかなか意識が集中できない
スマホのメッセージへの返信や、トカラの群発地震、今日のワークショップへの意識が湧いてくる

感謝を捧げるというよりも、感謝と慈愛のエネルギーを送る
宇宙のベースが愛であるならば自らの内=小宇宙の中を慈愛の思いで満たすことが、
宇宙に愛のエネルギーを注ぐことになる

また大地の根源神をはじめ、各地を守護してくださった存在に
感謝を伝え、感謝のエネルギーを送ることでその恩に報いていく
そのための取り組みなんだと改めて感じている
そのためにやりたいと感じていたんだと改めて思い出す

四方を拝し、ありがとうと思うこと、その形だけになってしまうと
本当にやりたかったこととは違うものになってしまう

国津神の源として国常立尊が地球の中心にあり、
天津神の源として太陽神天照大神がいる
そんなイメージが自分の中にはあるが、
双方の関係意識を向けると
かつては地球は太陽と関係のない存在だったのかもしれないとも思った
それはそれで太古のことなので直接は意識しなくていいことかもしれないけれど

大地に意識を向けるとトカラ列島の地震がとても気になる
異常な回数の揺れが起こっている
イメージの中で、その場所と一帯にエネルギーを送り、
地球を抱き感謝を伝え、
日本の大地を守ってくださる存在に感謝のエネルギーを送る

宇宙の中心で感謝を捧げると、
自分自身の胸の奥を中心に、全身にエネルギーが巡る気がする

宇宙の慈愛のエネルギーの一部にでも貢献できたとしたら、
それはそれでとても嬉しいことだ

宇宙と大地感謝と慈愛のエネルギーを注ぎたいと願う根本に、
自分が満たされたい思いや「自分自身」があるとしたら、
なんと世俗的な欲望だったのだろうという思いも湧いてくる
しかし一方で宇宙全体が自分自身でもあるとするならば自他の区別はない 

こうして様々な自分の状態の違いの中で朝同じように感謝を捧げる時間を持つことは、
そこから生まれてくる様々な意識の違いに気づく良いきっかけになっている
とてもありがたい時間だ 

2021年4月10日土曜日

感謝の瞑想

仕事の資料作りが迫っているので、簡単にと思ったが、やはり30分ぐらい時間がかかった

しかし、それでもとても豊かな時間だった
まずは何よりも感謝をささげることと今取り組んでいることが、
昨日まで以上にダイレクトにつながってきた感じがする

感謝を捧げる中で見えてきた世界のイメージ・日本のイメージ
歴史上の様々な人の葛藤、トラブル、争い

これまでの争いは、恐れから生まれてきた
自分自身が受け入れられないんじゃないか
存在価値をかけた争いだった
それは今の宗教の争いにも似ている
個人のレベルから世界のレベルになるので構造は同じ

確かに、様々な科学技術など、それらから生まれてきたものもたくさんある。

けれども、争いの中からあらなたものが生まれてくる構造を繰り返したくはない

意識レベルが発達してお互いに受け入れあえることで、
そこから物事が発展していく世界にしたい

視座を引き上げていくこと
現実を見ている自分の目ではなく、
世界を見、宇宙を見、人との本質を見ている天の視点で
物事を見てみると、全く違う思いやアイデアが浮かんでくる

その転換した視座からのひらめきが直感であり、
「もうひとりのわたし」「自分の中の私」であり、
全く自分とは異なる新しい物事の見方が生まれてくる

そして、それを現実世界といかに融合させていくのか

こういった視点に気づいてる人は一定数いるけれども
言葉に出してきてはいない

まだ体系的に言葉にしていくことに、ためらい抵抗がある時代だから
これを切り替えていく必要がある
言葉に出していくことのできる環境を徐々に作っていく必要がある

今日はこの感謝の瞑想の中で、
どうしても今日中に作りきってしまわないといけない仕事の資料に意識が行ってしまった

しかしそれこそが、いま私の意識やエネルギーが
しっかり向いているポイントでもある

ただその視線に縛られすぎると、
本質が見えなくなるので
俯瞰しながら捉えることもとても大事だ

作成している資料についてだけど、
詰め込みすぎはよくない
が、本質を押えて伝えることを伝えたい

一度に行うにはボリュームが大きすぎるのであれば
一回で終わることなく分割して様々なことを押さえていくことも大事だ
一度全体像を作り切って、そこから分けて行った方がいいのかもしれない

これは、天に感謝をささげていく、瞑想の世界ではなく現実の歩みである
だからこそ意味がある

この気づきは根源のエネルギーにつながる

作業の途中に、気晴らしとしてゲームなどを走って次回を浪費するその意識は
この宇宙をそういう方向に動かすことになる
逃げずに、本心が喜ぶことを軸にしながら進んで行く道を作っていこう 

2021年4月9日金曜日

感謝をささげること 4日目

 4月9日 朝の感謝

四方拝は「おはようございます」と「ありがとうございます」の意識で行った
瞑想の時に比べると深さがないが、行為に意味がある感じがする


今日は、日本各地にいつもより細かく意識を向けた
全国各地にさまざまな歴史と人の営み、思念の交錯がある

九州から始めて、四国、中国から京都・大阪・奈良・和歌山を中心に近畿、中部・北陸、白山、関東、富山・新潟から東北、北海道。

アイヌの置かれた境遇の変化から千島列島・樺太、南は沖縄・琉球への意識から台湾辺りまで。小笠原諸島含めて、様々な人の営みの積み重ねがある。


人から意識されることもない中でも支えてくださってきた各地の神々、そして大元の神様
それらですら、わずかに意識してくださる人の存在の認識によって、形づけられて意味づけられてきた
本当の姿、本当の思い、本当の働きを認識されることは少ない。
しかし、それでもごくごくわずかの人がそこに思いを馳せることによって、今日までのつながりを保ってきた。 

神々は何を願ってきたんだろう、何を自らの役割として歩んでこられたのだろう

争い、衝突、苦しみ、葛藤を抱えた経験があるからこそ、その立場が理解できる
それがすべてなくなってしまうと、そうでない状態のありがたみすら、わからなくなっていく
平和の時代が続くと、戦争の悲惨さが忘れ去られていくのと同じように

しかし、それではその衝突の状態争いの状態があったらいいのか、となるとそれもまた違う気もする


人の意識の発達を考えると、子どもの頃から完璧な存在で生まれてくるわけではないので、生育のプロセスとして様々な状態が生じ、それを受け入れられる社会であることが望ましい

同じ時代、同じ空間に様々なレベルの意識の状態の存在が併存することが必要になる

また発達は個人差も大きいため、大人になっても一定のレベルに達する人は多くはないかもしれない
それでも、より高いレベルへの道を開いていくことは、希望とともに可能性を広げていくことになる 

衝突や争いを成長のプロセスとして、見守っていくことのできる関わりが必要なのかもしれない


地球にエネルギーを送る
北極を中心に北側1/3を、日本を起点に西回りで一周
赤道を中心とした1/3を、フィリピンやインドネシアトリネシア辺りから西に一周
そして南極を中心にオーストラリアニュージーランドあたりから西回りに一周
最後に南極大陸に意識を向ける
赤道を中心としたベルト地帯は、温暖で住みやすかったからなのか、人の歴史も色濃く、争いも多い

地球の両極に軸を立てて西回りと東回りの2つの浄化の半円弓を回している

太陽の光の中から、地球を浄化し整えるための波長を、地球の倍くらいのフィルターを通して地球に集める
地球から見て、太陽方面に1ヵ所、そして後方の四隅斜め上から反射する形で4箇所、計5ヵ所からエネルギーを送る

太陽のエネルギーに感謝!
太陽の存在は大きい


地球を抱き地球の中心から感謝を伝える
地球の中心の存在に感謝を伝える
地球を自らの内に取り込むようなイメージ、これにはリスクと覚悟が伴う
今までよりも近く強く抱きかかえる

太陽に感謝を伝える

太陽を自らの内に取り込むようなイメージ
体の中に光のエネルギーが広がる
宇宙の中心を意識して感謝を広げると、宇宙の中心は自らの内にあり全身にエネルギーが満ちていく感覚

◎「私の平和活動」のために

・心の平安は、根源とのつながりから。「もう一人の私」=内在神(神性/仏性)との対話
・意識発達のレベルを高めるとともに、生育のために見守る意識も育む
・対話による多様性の受容は発達段階の一部/内省的対話へのステップ:これだけでは不足
・何が正しいのか、はない/私が創りたいものは何か、に向かって進む
・いまは思い付くまま手あたり次第 ⇨ 体系的に整えて(計画的/戦略的に)進むのも必要


2021年4月8日木曜日

世界に感謝をささげることから見えてきたこと

大地、地球、宇宙への感謝と
リアルな現実世界での取り組みとのつながりについて


歴史的な世界の争いは侵略されたくない、奪われたくない自分の生活を守るために、
ある時は守る側、ある時は攻め側 、
共に相手のことよりも自分を守るために、自分の家族、一族、国を守るために戦ってきた
そこに分かり合うという選択はなかったのかもしれない
力の強い者は、自らの意思を通ふすことができ、
弱い者は弱い者なりの生き方しかできない世界が長く続いた

軍事技術から生まれた科学技術のように、
その中から生まれてきたものもあり、それらの全てが土台となって、現在がある。
その恩恵の上に、その遺産の上に、今私たちは生活をしている

これからも、それを繰り返すのか?
形は変わっても、強い者が弱い者を虐げていくような生き方を繰り返していくのか?


この世の生き方には、正解もなければ誤りもない
ただ選択があるのみ
その与えられた自由な裁量が、あまりにも大きい故に、
私たちは途方に暮れてしまっている
正解がどこかにあるような錯覚を覚え、それを求めてしまっている


どんな体験の中にも学びはあり、どんな苦しみこんなの中からも成長が生まれるが、
同時に過酷すぎる環境の中で、心がねじ曲がってしまうことも少なくない。
屈折した心が、恐れと結びつくとき、
他者に対して残虐非道な容赦のない接し方になることは少なくない。


それを望むのか


寂しい思いをさせたくないのは、心がねじ曲がってしまわない為である
たとえ困難が多かったとしても、
共に歩み寄り添い支えてくれる存在があれば、
真っ直ぐに歩むことができる
そんな関係をしっかり作っていきたい


企業が利益追求を目的とすると考える人もいる
しかし 企業組織という器を使って世の中に役に立つ商品サービスを提供することこそが、企業組織の役割であり、それを継続的に存続させるために利益が必要なのである
利益はあくまで手段であり、目的は世の中に貢献することである
そこを履き違えた組織とはお付き合いをしたくない


同様に組織開発をする目的は、利益を上げるためではない
その組織が組織としての使命目的を果たすことができるように、
またそこに集う人々が本心の喜びを持って、
自らのやりがい使命感持って働くことができるような環境を整えるためである
その結果、お客様に喜んでいただける商品サービスの提供ができるのであり、
利益が生まれる


大切にするところを誤ってはいけない
周囲からも持続可能であってほしいと思っていただける組織を作りたい


人間力とは何か、人としての成長とは何か、
受容力の大きい人
恐れから動くのではない
喜びや 願い 期待から 動けるようになりたい
そんな組織でありたい


四方拝 3日目

昨夜寝るのが遅かったので、目が覚めた時にやろうと思っていた

5時にやることが目的ではない

睡眠時間を削って、体調や生活リズムが狂うことは望んでいない

感謝を捧げる時間を設けること、それが大事だと判断したから


朝7時頃自然に目覚めて起床、出先での初めての四方拝

ベッドの横の狭い空間で、北から順番に各方位に向かって、立って膝をついて拝することを行う

まだ意識が覚醒していないこともあり、「おはようございます」と朝の挨拶になってしまう

それでも、土地のお祓い(地鎮祭)と同じで、「形も大事」と思ってつづける


ベットの上にあぐらをかいて、感謝の瞑想に入る

今日は世界の各国を日本を軸に西回りで順番に巡っていった

恨みを抱き続ける韓国の国民性に、永遠に抜け出せない因縁の劫火を感じて、癒しのエネルギーを送りたくなったから。日本を後回しにした。

東アジア、オセアニア、南極大陸、ミクロネシア、ロシア、東南アジア、インド、旧ソ連圏、パキスタンからイラン、アラビア半島、トルコ、ギリシャからヨーロッパ、地中海から東アフリカ、マダガスカル、もう一度南極大陸に少し意識を向けて、西アフリカ、地中海、西ヨーロッパ、北欧、グリーンランド、北米大陸、中米、南米

各地域を手で撫でるように、感謝を伝えて行った

それぞれの地域に、生きるためのあるいは欲望のための様々な争いや醜い事件が、たくさん起こってきたことがイメージで伝わってくる・・・よくもヨーロッパからチリまで遠征してきたものだと感心する。

しかし、その背後に恐れがある、自分を守るための行動であり自分の欲望が起こした行動である

ただ、そういうことがあっても、その悲劇的なことの先に、文化・文明が進んでいった面もある

起こったことは仕方ないし、悲しいことだけれども、それらのすべてを踏まえて、現在・現世界がある


意識の世界とは言え、世界を順番に巡って、本当に時間がかかった

地球の南北の極に軸を立てて、地球をぐるぐる感謝の思いをめぐらしていく装置をつけた


地球全体を抱え込んで、感謝と慰労の想いを送る

次に、日本の各地に感謝のエネルギーを送って、地球の中心に向かう。

地球の中心でこのような様々な出来事を見つめてきた存在がある

何とも言えず複雑な気持ちになる

それでも支えていただいてきたことに、本当に深い感謝の気持ちが湧いてくる

ありがとうございます!

宇宙の中心に意識を映し、感謝の想いを報謝しながら、自分の体の中心からそのエネルギーが全身に広がるイメージに切り替わる。

実際に、少し腕を回しながら、カラダをほぐす


こうして世界を順番に見ていきながら、例えば奴隷制度ゆえに広大なアメリカの農地が維持され、工業化の前段階の様々な過酷な作業を担ってくれる存在が頑張ってくれたおかげで、大きな恩恵を生み出したことは間違いない

現在の礎を様々な悲劇が作ってくれた

複雑な思いである

もっといい方法はなかったのだろうかと思う反面、そこに起こった様々な恐れや欲望、自分中心の考えまた

そういったことが起こってくるのも、その人本人の問題ではなく、因果の折り重ねの中で生まれてきたものである

そう考えると、起こったことには、全て意味がある


今日の取り組みを通して、

四方拝の取り組みと対話を通して互いに受け入れる社会づくりは、ひとつのものだ

と私の中でつながった

別のことではない

世界より良い発展のための取り組みである


瞑想の中でもう一つ、強烈に浮かんできたことがある

お寺を軸にした宗教団体を活用して、

日本中の貧困と耕作放棄地や山林管理の問題解決の取り組みの構想である

お寺さんが中心となって耕作放棄地を所有し、困っていらっしゃる方々を受け入れて、この土地で食料を生産し、コミュニティを作っていく。

山林の管理を行い、山の恵みを頂いていく

地域通貨を導入し、経済環境とは異なる視点からの地域通貨流通を促進する生き方のモデル

そこに作っていく土地に課税されない宗教法人だからこそできる取り組みかもしれない

そして何より宗教の本来の救済の取り組みでもあるはずだが、できる日が来るだろうか


マザーテレサの死を待つ人の家を思い出しながらそんな思いが巡って行った 




2021年4月7日水曜日

四方拝 2日目

 今朝も5時に起きて、四方拝から始めた。

しかし、形が決まったことで、昨日より型が優先して、想いが入りにくい。

こういうことが起きるんだな、と感じることもまた良い経験。

そのまま胡坐の姿勢で、イメージの世界で感謝の想いを広げていく。

今日は少し長めだったかもしれない。終えた時は5時半を過ぎていた。


その後、着替えて昨日と同様にウォーキング。

歩く瞑想とはならず、いろんな思いが湧いてくる。

気になっていること、引っかかっていることなど。

それはそれで、また大切なことだからいいのだけれど、

ウォーキングが義務感になるのは嫌だな。

自然を感じ、朝の気を感じ、歩く瞑想になればいいかな。


形が決まって、それに従って行動するのは楽でいいけれど、

肝心の思いの部分が欠落していく怖さも感じる。


まだ2日目、これからどのように変化していくのか、楽しみでもある。

矛盾した潜在意識/苦しみや悲しみに寄り添う

 つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。 今朝は朝から天気が良かったので、大きな神社まで約3Kmの早朝散歩。 歩きながら、そして立ち止まって、いろいろなことに想いが巡った。 ●矛盾した前提を抱える「私」 自分の中にある暗黙の前提に意識を向けてみると、いろ...