2021年4月11日日曜日

感謝のエネルギー、宇宙を慈愛で満たす

 体がとても疲れている
7時に起床し7時10分前から始めたが、なかなか意識が集中できない
スマホのメッセージへの返信や、トカラの群発地震、今日のワークショップへの意識が湧いてくる

感謝を捧げるというよりも、感謝と慈愛のエネルギーを送る
宇宙のベースが愛であるならば自らの内=小宇宙の中を慈愛の思いで満たすことが、
宇宙に愛のエネルギーを注ぐことになる

また大地の根源神をはじめ、各地を守護してくださった存在に
感謝を伝え、感謝のエネルギーを送ることでその恩に報いていく
そのための取り組みなんだと改めて感じている
そのためにやりたいと感じていたんだと改めて思い出す

四方を拝し、ありがとうと思うこと、その形だけになってしまうと
本当にやりたかったこととは違うものになってしまう

国津神の源として国常立尊が地球の中心にあり、
天津神の源として太陽神天照大神がいる
そんなイメージが自分の中にはあるが、
双方の関係意識を向けると
かつては地球は太陽と関係のない存在だったのかもしれないとも思った
それはそれで太古のことなので直接は意識しなくていいことかもしれないけれど

大地に意識を向けるとトカラ列島の地震がとても気になる
異常な回数の揺れが起こっている
イメージの中で、その場所と一帯にエネルギーを送り、
地球を抱き感謝を伝え、
日本の大地を守ってくださる存在に感謝のエネルギーを送る

宇宙の中心で感謝を捧げると、
自分自身の胸の奥を中心に、全身にエネルギーが巡る気がする

宇宙の慈愛のエネルギーの一部にでも貢献できたとしたら、
それはそれでとても嬉しいことだ

宇宙と大地感謝と慈愛のエネルギーを注ぎたいと願う根本に、
自分が満たされたい思いや「自分自身」があるとしたら、
なんと世俗的な欲望だったのだろうという思いも湧いてくる
しかし一方で宇宙全体が自分自身でもあるとするならば自他の区別はない 

こうして様々な自分の状態の違いの中で朝同じように感謝を捧げる時間を持つことは、
そこから生まれてくる様々な意識の違いに気づく良いきっかけになっている
とてもありがたい時間だ 

2021年4月10日土曜日

感謝の瞑想

仕事の資料作りが迫っているので、簡単にと思ったが、やはり30分ぐらい時間がかかった

しかし、それでもとても豊かな時間だった
まずは何よりも感謝をささげることと今取り組んでいることが、
昨日まで以上にダイレクトにつながってきた感じがする

感謝を捧げる中で見えてきた世界のイメージ・日本のイメージ
歴史上の様々な人の葛藤、トラブル、争い

これまでの争いは、恐れから生まれてきた
自分自身が受け入れられないんじゃないか
存在価値をかけた争いだった
それは今の宗教の争いにも似ている
個人のレベルから世界のレベルになるので構造は同じ

確かに、様々な科学技術など、それらから生まれてきたものもたくさんある。

けれども、争いの中からあらなたものが生まれてくる構造を繰り返したくはない

意識レベルが発達してお互いに受け入れあえることで、
そこから物事が発展していく世界にしたい

視座を引き上げていくこと
現実を見ている自分の目ではなく、
世界を見、宇宙を見、人との本質を見ている天の視点で
物事を見てみると、全く違う思いやアイデアが浮かんでくる

その転換した視座からのひらめきが直感であり、
「もうひとりのわたし」「自分の中の私」であり、
全く自分とは異なる新しい物事の見方が生まれてくる

そして、それを現実世界といかに融合させていくのか

こういった視点に気づいてる人は一定数いるけれども
言葉に出してきてはいない

まだ体系的に言葉にしていくことに、ためらい抵抗がある時代だから
これを切り替えていく必要がある
言葉に出していくことのできる環境を徐々に作っていく必要がある

今日はこの感謝の瞑想の中で、
どうしても今日中に作りきってしまわないといけない仕事の資料に意識が行ってしまった

しかしそれこそが、いま私の意識やエネルギーが
しっかり向いているポイントでもある

ただその視線に縛られすぎると、
本質が見えなくなるので
俯瞰しながら捉えることもとても大事だ

作成している資料についてだけど、
詰め込みすぎはよくない
が、本質を押えて伝えることを伝えたい

一度に行うにはボリュームが大きすぎるのであれば
一回で終わることなく分割して様々なことを押さえていくことも大事だ
一度全体像を作り切って、そこから分けて行った方がいいのかもしれない

これは、天に感謝をささげていく、瞑想の世界ではなく現実の歩みである
だからこそ意味がある

この気づきは根源のエネルギーにつながる

作業の途中に、気晴らしとしてゲームなどを走って次回を浪費するその意識は
この宇宙をそういう方向に動かすことになる
逃げずに、本心が喜ぶことを軸にしながら進んで行く道を作っていこう 

2021年4月9日金曜日

感謝をささげること 4日目

 4月9日 朝の感謝

四方拝は「おはようございます」と「ありがとうございます」の意識で行った
瞑想の時に比べると深さがないが、行為に意味がある感じがする


今日は、日本各地にいつもより細かく意識を向けた
全国各地にさまざまな歴史と人の営み、思念の交錯がある

九州から始めて、四国、中国から京都・大阪・奈良・和歌山を中心に近畿、中部・北陸、白山、関東、富山・新潟から東北、北海道。

アイヌの置かれた境遇の変化から千島列島・樺太、南は沖縄・琉球への意識から台湾辺りまで。小笠原諸島含めて、様々な人の営みの積み重ねがある。


人から意識されることもない中でも支えてくださってきた各地の神々、そして大元の神様
それらですら、わずかに意識してくださる人の存在の認識によって、形づけられて意味づけられてきた
本当の姿、本当の思い、本当の働きを認識されることは少ない。
しかし、それでもごくごくわずかの人がそこに思いを馳せることによって、今日までのつながりを保ってきた。 

神々は何を願ってきたんだろう、何を自らの役割として歩んでこられたのだろう

争い、衝突、苦しみ、葛藤を抱えた経験があるからこそ、その立場が理解できる
それがすべてなくなってしまうと、そうでない状態のありがたみすら、わからなくなっていく
平和の時代が続くと、戦争の悲惨さが忘れ去られていくのと同じように

しかし、それではその衝突の状態争いの状態があったらいいのか、となるとそれもまた違う気もする


人の意識の発達を考えると、子どもの頃から完璧な存在で生まれてくるわけではないので、生育のプロセスとして様々な状態が生じ、それを受け入れられる社会であることが望ましい

同じ時代、同じ空間に様々なレベルの意識の状態の存在が併存することが必要になる

また発達は個人差も大きいため、大人になっても一定のレベルに達する人は多くはないかもしれない
それでも、より高いレベルへの道を開いていくことは、希望とともに可能性を広げていくことになる 

衝突や争いを成長のプロセスとして、見守っていくことのできる関わりが必要なのかもしれない


地球にエネルギーを送る
北極を中心に北側1/3を、日本を起点に西回りで一周
赤道を中心とした1/3を、フィリピンやインドネシアトリネシア辺りから西に一周
そして南極を中心にオーストラリアニュージーランドあたりから西回りに一周
最後に南極大陸に意識を向ける
赤道を中心としたベルト地帯は、温暖で住みやすかったからなのか、人の歴史も色濃く、争いも多い

地球の両極に軸を立てて西回りと東回りの2つの浄化の半円弓を回している

太陽の光の中から、地球を浄化し整えるための波長を、地球の倍くらいのフィルターを通して地球に集める
地球から見て、太陽方面に1ヵ所、そして後方の四隅斜め上から反射する形で4箇所、計5ヵ所からエネルギーを送る

太陽のエネルギーに感謝!
太陽の存在は大きい


地球を抱き地球の中心から感謝を伝える
地球の中心の存在に感謝を伝える
地球を自らの内に取り込むようなイメージ、これにはリスクと覚悟が伴う
今までよりも近く強く抱きかかえる

太陽に感謝を伝える

太陽を自らの内に取り込むようなイメージ
体の中に光のエネルギーが広がる
宇宙の中心を意識して感謝を広げると、宇宙の中心は自らの内にあり全身にエネルギーが満ちていく感覚

◎「私の平和活動」のために

・心の平安は、根源とのつながりから。「もう一人の私」=内在神(神性/仏性)との対話
・意識発達のレベルを高めるとともに、生育のために見守る意識も育む
・対話による多様性の受容は発達段階の一部/内省的対話へのステップ:これだけでは不足
・何が正しいのか、はない/私が創りたいものは何か、に向かって進む
・いまは思い付くまま手あたり次第 ⇨ 体系的に整えて(計画的/戦略的に)進むのも必要


2021年4月8日木曜日

世界に感謝をささげることから見えてきたこと

大地、地球、宇宙への感謝と
リアルな現実世界での取り組みとのつながりについて


歴史的な世界の争いは侵略されたくない、奪われたくない自分の生活を守るために、
ある時は守る側、ある時は攻め側 、
共に相手のことよりも自分を守るために、自分の家族、一族、国を守るために戦ってきた
そこに分かり合うという選択はなかったのかもしれない
力の強い者は、自らの意思を通ふすことができ、
弱い者は弱い者なりの生き方しかできない世界が長く続いた

軍事技術から生まれた科学技術のように、
その中から生まれてきたものもあり、それらの全てが土台となって、現在がある。
その恩恵の上に、その遺産の上に、今私たちは生活をしている

これからも、それを繰り返すのか?
形は変わっても、強い者が弱い者を虐げていくような生き方を繰り返していくのか?


この世の生き方には、正解もなければ誤りもない
ただ選択があるのみ
その与えられた自由な裁量が、あまりにも大きい故に、
私たちは途方に暮れてしまっている
正解がどこかにあるような錯覚を覚え、それを求めてしまっている


どんな体験の中にも学びはあり、どんな苦しみこんなの中からも成長が生まれるが、
同時に過酷すぎる環境の中で、心がねじ曲がってしまうことも少なくない。
屈折した心が、恐れと結びつくとき、
他者に対して残虐非道な容赦のない接し方になることは少なくない。


それを望むのか


寂しい思いをさせたくないのは、心がねじ曲がってしまわない為である
たとえ困難が多かったとしても、
共に歩み寄り添い支えてくれる存在があれば、
真っ直ぐに歩むことができる
そんな関係をしっかり作っていきたい


企業が利益追求を目的とすると考える人もいる
しかし 企業組織という器を使って世の中に役に立つ商品サービスを提供することこそが、企業組織の役割であり、それを継続的に存続させるために利益が必要なのである
利益はあくまで手段であり、目的は世の中に貢献することである
そこを履き違えた組織とはお付き合いをしたくない


同様に組織開発をする目的は、利益を上げるためではない
その組織が組織としての使命目的を果たすことができるように、
またそこに集う人々が本心の喜びを持って、
自らのやりがい使命感持って働くことができるような環境を整えるためである
その結果、お客様に喜んでいただける商品サービスの提供ができるのであり、
利益が生まれる


大切にするところを誤ってはいけない
周囲からも持続可能であってほしいと思っていただける組織を作りたい


人間力とは何か、人としての成長とは何か、
受容力の大きい人
恐れから動くのではない
喜びや 願い 期待から 動けるようになりたい
そんな組織でありたい


四方拝 3日目

昨夜寝るのが遅かったので、目が覚めた時にやろうと思っていた

5時にやることが目的ではない

睡眠時間を削って、体調や生活リズムが狂うことは望んでいない

感謝を捧げる時間を設けること、それが大事だと判断したから


朝7時頃自然に目覚めて起床、出先での初めての四方拝

ベッドの横の狭い空間で、北から順番に各方位に向かって、立って膝をついて拝することを行う

まだ意識が覚醒していないこともあり、「おはようございます」と朝の挨拶になってしまう

それでも、土地のお祓い(地鎮祭)と同じで、「形も大事」と思ってつづける


ベットの上にあぐらをかいて、感謝の瞑想に入る

今日は世界の各国を日本を軸に西回りで順番に巡っていった

恨みを抱き続ける韓国の国民性に、永遠に抜け出せない因縁の劫火を感じて、癒しのエネルギーを送りたくなったから。日本を後回しにした。

東アジア、オセアニア、南極大陸、ミクロネシア、ロシア、東南アジア、インド、旧ソ連圏、パキスタンからイラン、アラビア半島、トルコ、ギリシャからヨーロッパ、地中海から東アフリカ、マダガスカル、もう一度南極大陸に少し意識を向けて、西アフリカ、地中海、西ヨーロッパ、北欧、グリーンランド、北米大陸、中米、南米

各地域を手で撫でるように、感謝を伝えて行った

それぞれの地域に、生きるためのあるいは欲望のための様々な争いや醜い事件が、たくさん起こってきたことがイメージで伝わってくる・・・よくもヨーロッパからチリまで遠征してきたものだと感心する。

しかし、その背後に恐れがある、自分を守るための行動であり自分の欲望が起こした行動である

ただ、そういうことがあっても、その悲劇的なことの先に、文化・文明が進んでいった面もある

起こったことは仕方ないし、悲しいことだけれども、それらのすべてを踏まえて、現在・現世界がある


意識の世界とは言え、世界を順番に巡って、本当に時間がかかった

地球の南北の極に軸を立てて、地球をぐるぐる感謝の思いをめぐらしていく装置をつけた


地球全体を抱え込んで、感謝と慰労の想いを送る

次に、日本の各地に感謝のエネルギーを送って、地球の中心に向かう。

地球の中心でこのような様々な出来事を見つめてきた存在がある

何とも言えず複雑な気持ちになる

それでも支えていただいてきたことに、本当に深い感謝の気持ちが湧いてくる

ありがとうございます!

宇宙の中心に意識を映し、感謝の想いを報謝しながら、自分の体の中心からそのエネルギーが全身に広がるイメージに切り替わる。

実際に、少し腕を回しながら、カラダをほぐす


こうして世界を順番に見ていきながら、例えば奴隷制度ゆえに広大なアメリカの農地が維持され、工業化の前段階の様々な過酷な作業を担ってくれる存在が頑張ってくれたおかげで、大きな恩恵を生み出したことは間違いない

現在の礎を様々な悲劇が作ってくれた

複雑な思いである

もっといい方法はなかったのだろうかと思う反面、そこに起こった様々な恐れや欲望、自分中心の考えまた

そういったことが起こってくるのも、その人本人の問題ではなく、因果の折り重ねの中で生まれてきたものである

そう考えると、起こったことには、全て意味がある


今日の取り組みを通して、

四方拝の取り組みと対話を通して互いに受け入れる社会づくりは、ひとつのものだ

と私の中でつながった

別のことではない

世界より良い発展のための取り組みである


瞑想の中でもう一つ、強烈に浮かんできたことがある

お寺を軸にした宗教団体を活用して、

日本中の貧困と耕作放棄地や山林管理の問題解決の取り組みの構想である

お寺さんが中心となって耕作放棄地を所有し、困っていらっしゃる方々を受け入れて、この土地で食料を生産し、コミュニティを作っていく。

山林の管理を行い、山の恵みを頂いていく

地域通貨を導入し、経済環境とは異なる視点からの地域通貨流通を促進する生き方のモデル

そこに作っていく土地に課税されない宗教法人だからこそできる取り組みかもしれない

そして何より宗教の本来の救済の取り組みでもあるはずだが、できる日が来るだろうか


マザーテレサの死を待つ人の家を思い出しながらそんな思いが巡って行った 




2021年4月7日水曜日

四方拝 2日目

 今朝も5時に起きて、四方拝から始めた。

しかし、形が決まったことで、昨日より型が優先して、想いが入りにくい。

こういうことが起きるんだな、と感じることもまた良い経験。

そのまま胡坐の姿勢で、イメージの世界で感謝の想いを広げていく。

今日は少し長めだったかもしれない。終えた時は5時半を過ぎていた。


その後、着替えて昨日と同様にウォーキング。

歩く瞑想とはならず、いろんな思いが湧いてくる。

気になっていること、引っかかっていることなど。

それはそれで、また大切なことだからいいのだけれど、

ウォーキングが義務感になるのは嫌だな。

自然を感じ、朝の気を感じ、歩く瞑想になればいいかな。


形が決まって、それに従って行動するのは楽でいいけれど、

肝心の思いの部分が欠落していく怖さも感じる。


まだ2日目、これからどのように変化していくのか、楽しみでもある。

2021年4月6日火曜日

四方拝を始めてみた

大地に感謝、宇宙に感謝。
これまでの先人の歩みに感謝。
感謝の想いを巡らすとき、
とても満たされた気持ちになる。
そして、そこのことにとても深い意味を感じる。

その時に感じる至福な感覚を大切にしたいと思うほどに、
日常の生活よりもそちらを軸にした生き方こそが、
自分自身が最も優先して行うべきことだと感じていた。
一方で、それが現実からの逃避になりかねない危惧もある。

思うだけでは意味がない
4月5日、もう一人の私の声は、
時間を決めてなってみなよ!
と言ってきた。
実際に実践しようとした時に、


朝5時から1時間ほどの時間を
そこに当ててみればいいのではないか
それ以外の時間はこの世界で生きるために費やす
そのような取り組みをしばらくやってみようと
私の中の私が提案してくれた


やらなければならないからやるのではなく、
やりたいからやる取り組み
1日1時間、時間を取って、やってみよう!
どのようにやったらいいか思案する中で、
私の中の私は、四方拝のイメージを送ってきた。
四方を拝して、感謝をささげる。


4月6日、朝5時起床

最初に、四方拝をやって、それから瞑想のスタイルで感謝を広げる
そう思って、実際にやってみることにしたが、
方角の順番までは考えてなかった。
意識を整えると、北から東、南、西の順番のイメージが湧いてきた。
その順番に拝して感謝を伝える。

時間としてはすぐに終わるので、
そのまま胡坐の姿勢で瞑想のような状態で
意識を大地や地球の外、内、宇宙に向けながら
感謝の想いを広げていく。

地球の中は、国常立尊(くにのとこたちのみこと)のイメージがある。
中心から全方向に感謝の想いを広げる
地球の外から、抱くように包み込み、慈しむように感謝を伝える。
宇宙全体は、自らのカラダと重なる。全宇宙に感謝の思念を広げる。


20分ほどそういう時間を過ごした後、
着替えてウォーキングに出発した

30分ぐらいのつもりだったが、結局1時間。
そのウォーキングの最中に
湧いてくる様々な思いがあり、
いま自分の意識が向いてるところはどこにあるのか
ということを確認させてくれる

これも大切に扱わないと、家に戻った瞬間に消え去ってしまう

意識が現実を創ることを、もう少し念頭に置いた生活をしてみよう

朝の時間がゆっくりあるありがたい

そして、夜寝る前に、もう一度、感謝を伝えて休む


四方拝をネットで調べると、
いろいろと説明が書いてあるが、
私は、何かを願いのではない。
形ではなく、感謝を伝えたい想いが大事。
その思いが形をとるようになる。
ネットに書かれた四方拝を正式だとすれば、私の四方拝は邪道になるのだろう。
それでもいい。

大地を代表する東西南北の四方を拝して感謝の思念を
地球から宇宙、そして自分の内部広げることに、
「四方拝」という名称ラベルを付けただけだから。

2021年4月4日日曜日

私は一度も死んだことがない

 「私は一度も死んだことがない」

と聞くと、どう感じるだろうか?


私のカラダは、誕生前の受精卵からスタートする。

その受精卵は両親の細胞から一度も死ぬことなく引き継がれてきている。

そして両親も、またその両親から同じように、細胞を引き継いでいる。

細胞レベルで生を考える時、私が死ぬとき、私の細胞は初めて死ぬ


観葉植物のポトスが新たな葉を伸ばしていくようなイメージが広がった。


人生の青年期に、受精卵の形で、次の世代に引き継ぎ、

自分の人生が終わるまで、葉を広げていく。


誕生から青年時代までの「茎」が

何世代にもわたってバトンを引き継いでいく

そして、その後の時間は、

葉を広げて、光合成によって養分を本体に送っていく

やがて葉は枯れて、役目を終えていく。

その時初めて、「私」の細胞は死を体験する。


私の中の細胞は、悠久の歴史を生きてきて、

その歴史の最先端に立つ存在。

2021年2月24日水曜日

思考実験 現世が仮想現実だとしたら

意識が現実を創るとしたら、

個々人の意識世界にプログラミングされたことの総和が

現実の世界を生み出していくということになるのかな


認知されることは、それぞれの経験に基づくわけだから

そこから思考されて、意識化されることも

実に多様なバリエーションがあることになるだろう


しかし同時に、

社会全体が無自覚に合意している現実もある

プロセスワークでいう「コンセンサス・リアリティ」

とはそんな概念だと感じる


まあ、人生が終わるときには、物質的なものはすべて保有できなくなる


もし、意識体のエネルギーが残るとすれば、

そこに記憶されるのは、何だろう?


人生のすべてが記録されたとしても、

物質的なものや現世的なものはどうせ使えないのだから

あまり意味がない


そうすると、感情や思念のパターン?

肉体という保護膜がなくなった鋭敏な感覚の意識体?


そもそも、エネルギー体の融合は容易にできるわけだから、

個という概念で存在することができるのかすら怪しい


エネルギー体が融合すると仮定しよう

様々な人生を共有することで、無限の集合知が生まれる

そこでどんなことを味わいたいのだろう?


満たされた至高・至福の感覚、、かな

それが共有されたら、素晴らしいだろうなぁ

また、そこに至るまでのプロセスにも興味が湧いてくる

苦難や葛藤、悲しみや怒りなどがあっても、

それらが至高・至福の感覚に至るために必要なプロセスだったとしたら

それは素晴らしい!


内なる神性に出会い

森羅万象と自分自身が一体である感覚と

そこに至るプロセスを共有出来たら

素晴らしい!


自他が混然一体となった中で

深い慈愛に満たされた感覚


十分に満たされていて、もう何もしなくていい!!

そこに至るための応援はしたいなぁ。。。

2021年2月15日月曜日

カラダを温める

カラダを温めると免疫力が向上する、といわれる。

温泉や入浴なども効果がある、とされるようだが、

経験的には、外部からの熱源で温めるのと

体内からの熱で温めるのでは大きく違う気がする。


カラダを動かして、汗をかいて、カラダが温まる

活性酸素が排出されて、細胞の老化が早まる、という方もおられるようだが

カラダを動かすことで、筋肉がついて、基礎代謝が上がることの効果の方が大きい感じがする

汗で失われた水分を水素水などの抗酸化作用のあるもので補えば、何もしない時よりもより吸収されて、効果も大きいのではないだろうか。


義従兄がステージ4の癌で余命宣告され、妻である従姉と一緒にエアロビでたくさんの汗を流して、完治した話を聴いたが、とても納得感があった。


私も、癌になったら、カラダを動かして、体内からの熱で「温熱治療」をやろう!


ヒトのカラダは動くこと、歩くことを前提に創られている。

黙ってじっとしているのは死への近道かもしれない。


こう書き進めてみて、裏付けのない文章だなぁと・・・書くことの難しさも感じる><

2021年2月10日水曜日

つぶやき 2021年2月のある日

 グルジェフ、維摩経・・・世間の評価に左右されず、自分の目で確かめる

ーーー

維摩経に触れると、出家・在家を区別することの意義が問われる

出家して組織に帰属すると、その枠内のディスコースに縛られる

自由に感じることを縛ってしまうこともある

法を求めるもの、相を求めるもの・・・それぞれに求めるものが異なれば、かみ合わない


「維摩経」 <1>長尾 雅人 1973/10  中央公論社 文庫本 186p

 法はアーラヤではありません。アーラヤを喜ぶ者は、法を求めているのではなく、アーラヤを求めているのです。法は無相であってむなしい。相に従って識知する者は、法を求めるのではなく、相をもとめているのです。法は、それと共住しうるようなものではない。法とともに住しようとする者は、法を求めているのではなく、(法と)住することを求めているのです。法は、見たり、聞いたり、判断したり、知ったりさえるものではない。見・聞・覚・知を行なうものは、見・聞・覚・知を求めているのであって、法を求めているのではありません。大徳シャーリプトラよ、法は有為でもなく無為でもない。有為を対象とするものは、法を求めるのではなく、彼らは有為をとらえようと求めているのです。それゆえに、シャーリプトラよ、法を求めようとするならば、あなたはいかなる法も求めてはならないのです。 p81


イエス降誕時の羊飼いに思いが巡る

ブッダに粥を施したスジャータに思いが巡る

組織の中にあって学び習得するものと、整える方向性が異なる

ーーーー

無意識の世界に膨大な情報が流れているように、

現実の世界においても膨大な情報に接している

その中で、ごくわずかなものをキャッチして生きているに過ぎない

何をキャッチするのか?


心のあり方、想いの所在が定まった時に

現実が動き出す


シンクロニシティとは、膨大な情報の中から、

自らの人生に統合的に、いま必要なものをキャッチし拾い出す能力である

ーーーー

地球を抱きしめて、大地に感謝を捧げ、

自分のカラダの隅々の細胞にまで「ありがとう」を伝えて、

そこで生じる感覚をしっかり味わい、今日を歩みだす。

その時は鮮明だけれども、意識を現実に戻すと、とてもはかない感覚を

大切に両手で掬い、確認する

全体に思いを馳せた上で、目の前の現実に向き合っていく。

地球を抱きしめて、大地に感謝を捧げ、

自分のカラダの隅々の細胞にまで「ありがとう」を伝えて、

そこで生じる感覚をしっかり味わい、今日を終える。


1日の構成はこれが良いのかもしれない



矛盾した潜在意識/苦しみや悲しみに寄り添う

 つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。 今朝は朝から天気が良かったので、大きな神社まで約3Kmの早朝散歩。 歩きながら、そして立ち止まって、いろいろなことに想いが巡った。 ●矛盾した前提を抱える「私」 自分の中にある暗黙の前提に意識を向けてみると、いろ...