意識が現実を創るとしたら、
個々人の意識世界にプログラミングされたことの総和が
現実の世界を生み出していくということになるのかな
認知されることは、それぞれの経験に基づくわけだから
そこから思考されて、意識化されることも
実に多様なバリエーションがあることになるだろう
しかし同時に、
社会全体が無自覚に合意している現実もある
プロセスワークでいう「コンセンサス・リアリティ」
とはそんな概念だと感じる
まあ、人生が終わるときには、物質的なものはすべて保有できなくなる
もし、意識体のエネルギーが残るとすれば、
そこに記憶されるのは、何だろう?
人生のすべてが記録されたとしても、
物質的なものや現世的なものはどうせ使えないのだから
あまり意味がない
そうすると、感情や思念のパターン?
肉体という保護膜がなくなった鋭敏な感覚の意識体?
そもそも、エネルギー体の融合は容易にできるわけだから、
個という概念で存在することができるのかすら怪しい
エネルギー体が融合すると仮定しよう
様々な人生を共有することで、無限の集合知が生まれる
そこでどんなことを味わいたいのだろう?
満たされた至高・至福の感覚、、かな
それが共有されたら、素晴らしいだろうなぁ
また、そこに至るまでのプロセスにも興味が湧いてくる
苦難や葛藤、悲しみや怒りなどがあっても、
それらが至高・至福の感覚に至るために必要なプロセスだったとしたら
それは素晴らしい!
内なる神性に出会い
森羅万象と自分自身が一体である感覚と
そこに至るプロセスを共有出来たら
素晴らしい!
自他が混然一体となった中で
深い慈愛に満たされた感覚
十分に満たされていて、もう何もしなくていい!!
そこに至るための応援はしたいなぁ。。。
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