2021年4月7日水曜日

四方拝 2日目

 今朝も5時に起きて、四方拝から始めた。

しかし、形が決まったことで、昨日より型が優先して、想いが入りにくい。

こういうことが起きるんだな、と感じることもまた良い経験。

そのまま胡坐の姿勢で、イメージの世界で感謝の想いを広げていく。

今日は少し長めだったかもしれない。終えた時は5時半を過ぎていた。


その後、着替えて昨日と同様にウォーキング。

歩く瞑想とはならず、いろんな思いが湧いてくる。

気になっていること、引っかかっていることなど。

それはそれで、また大切なことだからいいのだけれど、

ウォーキングが義務感になるのは嫌だな。

自然を感じ、朝の気を感じ、歩く瞑想になればいいかな。


形が決まって、それに従って行動するのは楽でいいけれど、

肝心の思いの部分が欠落していく怖さも感じる。


まだ2日目、これからどのように変化していくのか、楽しみでもある。

2021年4月6日火曜日

四方拝を始めてみた

大地に感謝、宇宙に感謝。
これまでの先人の歩みに感謝。
感謝の想いを巡らすとき、
とても満たされた気持ちになる。
そして、そこのことにとても深い意味を感じる。

その時に感じる至福な感覚を大切にしたいと思うほどに、
日常の生活よりもそちらを軸にした生き方こそが、
自分自身が最も優先して行うべきことだと感じていた。
一方で、それが現実からの逃避になりかねない危惧もある。

思うだけでは意味がない
4月5日、もう一人の私の声は、
時間を決めてなってみなよ!
と言ってきた。
実際に実践しようとした時に、


朝5時から1時間ほどの時間を
そこに当ててみればいいのではないか
それ以外の時間はこの世界で生きるために費やす
そのような取り組みをしばらくやってみようと
私の中の私が提案してくれた


やらなければならないからやるのではなく、
やりたいからやる取り組み
1日1時間、時間を取って、やってみよう!
どのようにやったらいいか思案する中で、
私の中の私は、四方拝のイメージを送ってきた。
四方を拝して、感謝をささげる。


4月6日、朝5時起床

最初に、四方拝をやって、それから瞑想のスタイルで感謝を広げる
そう思って、実際にやってみることにしたが、
方角の順番までは考えてなかった。
意識を整えると、北から東、南、西の順番のイメージが湧いてきた。
その順番に拝して感謝を伝える。

時間としてはすぐに終わるので、
そのまま胡坐の姿勢で瞑想のような状態で
意識を大地や地球の外、内、宇宙に向けながら
感謝の想いを広げていく。

地球の中は、国常立尊(くにのとこたちのみこと)のイメージがある。
中心から全方向に感謝の想いを広げる
地球の外から、抱くように包み込み、慈しむように感謝を伝える。
宇宙全体は、自らのカラダと重なる。全宇宙に感謝の思念を広げる。


20分ほどそういう時間を過ごした後、
着替えてウォーキングに出発した

30分ぐらいのつもりだったが、結局1時間。
そのウォーキングの最中に
湧いてくる様々な思いがあり、
いま自分の意識が向いてるところはどこにあるのか
ということを確認させてくれる

これも大切に扱わないと、家に戻った瞬間に消え去ってしまう

意識が現実を創ることを、もう少し念頭に置いた生活をしてみよう

朝の時間がゆっくりあるありがたい

そして、夜寝る前に、もう一度、感謝を伝えて休む


四方拝をネットで調べると、
いろいろと説明が書いてあるが、
私は、何かを願いのではない。
形ではなく、感謝を伝えたい想いが大事。
その思いが形をとるようになる。
ネットに書かれた四方拝を正式だとすれば、私の四方拝は邪道になるのだろう。
それでもいい。

大地を代表する東西南北の四方を拝して感謝の思念を
地球から宇宙、そして自分の内部広げることに、
「四方拝」という名称ラベルを付けただけだから。

2021年4月4日日曜日

私は一度も死んだことがない

 「私は一度も死んだことがない」

と聞くと、どう感じるだろうか?


私のカラダは、誕生前の受精卵からスタートする。

その受精卵は両親の細胞から一度も死ぬことなく引き継がれてきている。

そして両親も、またその両親から同じように、細胞を引き継いでいる。

細胞レベルで生を考える時、私が死ぬとき、私の細胞は初めて死ぬ


観葉植物のポトスが新たな葉を伸ばしていくようなイメージが広がった。


人生の青年期に、受精卵の形で、次の世代に引き継ぎ、

自分の人生が終わるまで、葉を広げていく。


誕生から青年時代までの「茎」が

何世代にもわたってバトンを引き継いでいく

そして、その後の時間は、

葉を広げて、光合成によって養分を本体に送っていく

やがて葉は枯れて、役目を終えていく。

その時初めて、「私」の細胞は死を体験する。


私の中の細胞は、悠久の歴史を生きてきて、

その歴史の最先端に立つ存在。

2021年2月24日水曜日

思考実験 現世が仮想現実だとしたら

意識が現実を創るとしたら、

個々人の意識世界にプログラミングされたことの総和が

現実の世界を生み出していくということになるのかな


認知されることは、それぞれの経験に基づくわけだから

そこから思考されて、意識化されることも

実に多様なバリエーションがあることになるだろう


しかし同時に、

社会全体が無自覚に合意している現実もある

プロセスワークでいう「コンセンサス・リアリティ」

とはそんな概念だと感じる


まあ、人生が終わるときには、物質的なものはすべて保有できなくなる


もし、意識体のエネルギーが残るとすれば、

そこに記憶されるのは、何だろう?


人生のすべてが記録されたとしても、

物質的なものや現世的なものはどうせ使えないのだから

あまり意味がない


そうすると、感情や思念のパターン?

肉体という保護膜がなくなった鋭敏な感覚の意識体?


そもそも、エネルギー体の融合は容易にできるわけだから、

個という概念で存在することができるのかすら怪しい


エネルギー体が融合すると仮定しよう

様々な人生を共有することで、無限の集合知が生まれる

そこでどんなことを味わいたいのだろう?


満たされた至高・至福の感覚、、かな

それが共有されたら、素晴らしいだろうなぁ

また、そこに至るまでのプロセスにも興味が湧いてくる

苦難や葛藤、悲しみや怒りなどがあっても、

それらが至高・至福の感覚に至るために必要なプロセスだったとしたら

それは素晴らしい!


内なる神性に出会い

森羅万象と自分自身が一体である感覚と

そこに至るプロセスを共有出来たら

素晴らしい!


自他が混然一体となった中で

深い慈愛に満たされた感覚


十分に満たされていて、もう何もしなくていい!!

そこに至るための応援はしたいなぁ。。。

2021年2月15日月曜日

カラダを温める

カラダを温めると免疫力が向上する、といわれる。

温泉や入浴なども効果がある、とされるようだが、

経験的には、外部からの熱源で温めるのと

体内からの熱で温めるのでは大きく違う気がする。


カラダを動かして、汗をかいて、カラダが温まる

活性酸素が排出されて、細胞の老化が早まる、という方もおられるようだが

カラダを動かすことで、筋肉がついて、基礎代謝が上がることの効果の方が大きい感じがする

汗で失われた水分を水素水などの抗酸化作用のあるもので補えば、何もしない時よりもより吸収されて、効果も大きいのではないだろうか。


義従兄がステージ4の癌で余命宣告され、妻である従姉と一緒にエアロビでたくさんの汗を流して、完治した話を聴いたが、とても納得感があった。


私も、癌になったら、カラダを動かして、体内からの熱で「温熱治療」をやろう!


ヒトのカラダは動くこと、歩くことを前提に創られている。

黙ってじっとしているのは死への近道かもしれない。


こう書き進めてみて、裏付けのない文章だなぁと・・・書くことの難しさも感じる><

2021年2月10日水曜日

つぶやき 2021年2月のある日

 グルジェフ、維摩経・・・世間の評価に左右されず、自分の目で確かめる

ーーー

維摩経に触れると、出家・在家を区別することの意義が問われる

出家して組織に帰属すると、その枠内のディスコースに縛られる

自由に感じることを縛ってしまうこともある

法を求めるもの、相を求めるもの・・・それぞれに求めるものが異なれば、かみ合わない


「維摩経」 <1>長尾 雅人 1973/10  中央公論社 文庫本 186p

 法はアーラヤではありません。アーラヤを喜ぶ者は、法を求めているのではなく、アーラヤを求めているのです。法は無相であってむなしい。相に従って識知する者は、法を求めるのではなく、相をもとめているのです。法は、それと共住しうるようなものではない。法とともに住しようとする者は、法を求めているのではなく、(法と)住することを求めているのです。法は、見たり、聞いたり、判断したり、知ったりさえるものではない。見・聞・覚・知を行なうものは、見・聞・覚・知を求めているのであって、法を求めているのではありません。大徳シャーリプトラよ、法は有為でもなく無為でもない。有為を対象とするものは、法を求めるのではなく、彼らは有為をとらえようと求めているのです。それゆえに、シャーリプトラよ、法を求めようとするならば、あなたはいかなる法も求めてはならないのです。 p81


イエス降誕時の羊飼いに思いが巡る

ブッダに粥を施したスジャータに思いが巡る

組織の中にあって学び習得するものと、整える方向性が異なる

ーーーー

無意識の世界に膨大な情報が流れているように、

現実の世界においても膨大な情報に接している

その中で、ごくわずかなものをキャッチして生きているに過ぎない

何をキャッチするのか?


心のあり方、想いの所在が定まった時に

現実が動き出す


シンクロニシティとは、膨大な情報の中から、

自らの人生に統合的に、いま必要なものをキャッチし拾い出す能力である

ーーーー

地球を抱きしめて、大地に感謝を捧げ、

自分のカラダの隅々の細胞にまで「ありがとう」を伝えて、

そこで生じる感覚をしっかり味わい、今日を歩みだす。

その時は鮮明だけれども、意識を現実に戻すと、とてもはかない感覚を

大切に両手で掬い、確認する

全体に思いを馳せた上で、目の前の現実に向き合っていく。

地球を抱きしめて、大地に感謝を捧げ、

自分のカラダの隅々の細胞にまで「ありがとう」を伝えて、

そこで生じる感覚をしっかり味わい、今日を終える。


1日の構成はこれが良いのかもしれない



2020年12月7日月曜日

すでに完全である


朝の眼ざめの半覚醒の中で

統合された意識の世界において、そこから広がる感覚を求めている


「無境界」(ケン・ウィルバー)を見てみよう!

そういう思いが出てきたので、起き上がって、本を手に取る


第10章 究極の意識の状態

「すでに完全である」ここにあった!

言葉で説明しようと試みているようなもどかしさを感じる文面

しかし、その状態での味わう感覚は、自身が体験してみないと分からない

意識してから、体験してから読むと分かるが、

そうでなければ、難解で理解できない文章に映るだろう


ヒンズー教のラナマ・マハルシがここに登場するとは思いもしなかった


すべては完全である。

悟りに修行の必要もない

しかし、そのままでは変われない逆説的な状態


何にフォーカスするかの違いでしかないのかも。

タイプ分け、段階と呼んでいるのも、

意識をフォーカスする対象の違いにすぎないのかもしれない


お金や日々の生活に意識をフォーカスすれば、
そこを軸にした人生になる

更には、無自覚な「不足している」渇望がベースにあれば、
それが実現した人生になる

自覚・無自覚に関係なく、フォーカスされた意識の対象が自分の人生を形づくる


フォーカスする対象を切り替える機会を共に持つことで、
人生の質の転換を図ることを支援できるかも


世にいう「フォーカシング」とは、そういう取り組みなのだろうか
少し調べてみたい


2020年12月6日日曜日

意識の所在

 朝の目覚めの半覚醒の状態での

意識の展開はとても興味深い


ただ、大切に扱わないと

掌の一片の雪のように

アッという間に消えてしまう

ーーー

今朝は

気になっていることを確認しようと

書棚から本を取り出してみた

 

パラパラめくって眺めては

次の想いが湧いてくる

 

そこから派生して

また本を取り出して・・・

と繰り返してたら

収拾がつかなくなって。。。時間切れ

 

気になったところを連鎖的に確認していったら、

机上に本が溢れてしまっただけなんだけど 

とりあえず、書棚に戻す前に並べてみた

 

ああ、こんなつながりでグルグルしてるんだなぁ

と何となく意識の所在は確認できたかな

 

同時に、本の読み方に迷いを感じている自分自身も見えてきた気がする

暖かく目覚めることのできる幸せ

師走の朝の眼ざめ

暖かく目覚めることができる幸せ

安心して眠れることのありがたさ


半覚醒の意識の中で、太古の原始生活の頃のイメージが広がる。


洞穴の入口に、木や大きな草を立てかけて、防風防寒防暑に使っている

しかし、虫が入ってくる。


ノコギリなどがなかった時代

石で叩き切ったり、火で焼き切ったりしながら、一本の丸太を整える

切り口を、地面などに擦り付けて、丸みをつけて整える

更には、河原で火を起こして、表面を焼いて防虫効果を高めたり、と工夫

表面を焼いた木を並べて防虫に使う


そんな工夫をしても、時には獣が狙ってくることもある

夜寝る時も、手元に丈夫な槍を置いて備える

安心して寝ることはできなかっただろうなぁ。


2020年12月5日土曜日

統合された自己(Oneness)による宇宙認知 

朝の半覚醒の意識の中で・・・


生まれた赤ちゃんの自他未分化の意識からスタートして

自他の認識から、自他分離がどんどん進む。

やがて、自己を受容できるようになるにつれ、

他者を受け入れられるようになる。

自己の価値観にとらわれず、

多様なあり方を受け入れられるようになり、

統合されていく


螺旋を描きながら意識が発達していく形は

生まれたての自他未分化が南極とすれば

統合されたところが北極

地球のように球形になっている


人と人、人と自然、人と宇宙・・・

すべてが一体となった一つの存在。。。

そう感じながら、視点を地球の上空に移した


その途端に

地球―太陽系-銀河系―・・・とすごいスピードで引きのアングルで小さくなっていく

その先に、宇宙が自分自身の中にあることを感じる


大きさや距離を数値で表すことに意味がない。

相互に干渉し合えないスケールでの入れ子ループがある。

大きさは存在しない。


「フラクタル」であることから、

定められた基本ルールに基づいて、

意図を持って設計してプログラムされているように感じる


その根底にあるのは愛(慈悲)と意識のエネルギー

意識・思念が実体であると感じる


理性で考えるものではない

統合された意識の中で感じるもの


インテグラル理論で示される第1層の意識世界において

この次元における宇宙の広がりは、アクセスできない無用の長物のように感じていた

しかし、第2層以上の彼我の区別の無い統合された意識状態においては

貴重なフラクタルの教材でもあると思った

ブッダの宇宙の智慧は、こうして体得されたものなのだろうか。。。



2020年11月13日金曜日

「幸せ」を考える

 「幸せ」を考える


【友人の投稿の先にあった問い】

「Q.いま、どのくらい幸せを感じていますか?それはなぜだと思いますか?またはどうなったら幸せを感じられると思いますか?」


思いがけず、良い問いをもらった!

せっかくなので、「幸せ」に向き合わせてもらった(^^)


【そのときの私の回答】

4点/5点満点 十分に幸せだと感じるけど、まだ探究中だから。


どうなったら幸せを感じられるか…思い付くままに・・・


●小さなことにも、ありがたいと思えること

 例えば、食べる時:野菜や果物は、植物のカラダ自体だったり、次の世代を生み出す種子だったりする。ご飯やパン、麺類は、イネや麦の「種」。卵もそう。肉は、動物の体そのもの。私の食=命のために、命を提供してもらっていることへのありがたさ。

だからこそ、大切にしたい、必要以上には摂らないという気持ちにもつながる。


●自分の人生すべてが幸せだったと整理がついていること

 どんな出来事にも良い面と悪い面があるけれど、悪い面に捉われて良い面を見ていないことが多い。

 例えば、人間関係での苦しみが、自分自身の内面を見つめる力を育み、苦しんでいる人への共感ができるようになった、などその時はネガティブな出来事に思えても、あとから振り返ると価値ある体験だったことは少なくない。人生の苦しみや悲しみをふりかえって、そこから生まれたポジティブない意味付けができると、人生を生きやすくなる。


●自分が置かれている環境全体への関心、時間・空間的な広いつながりを意識できること

 空の青さ、雲の流れ、雨の日の静かな空気感、路傍の草や花、木々の緑、業務前に道路を掃除している方々の姿、子どもたちのために横断歩道に立つシニアの方々・・・そこにある美しさや感動、思いやりの気持ち等を感じることのできる感性と育むこと。幸せを感じる種は至るところにちりばめられている。


●感情が揺り動かされる出来事は、自分自身を知り、成長させる契機だと気づくこと

 家族や親族とのつながり、これまで関わった方々との様々なつながり、その中で起きた感情が動かされる様々な出来事の一つ一つが自分自身を形成してきたことを認識すること。

すべてが凝縮された「私」は、私一人では創れなかった。

その時々に上手く受け止められずにいたことがあっても、いまの「私」は受け止め直すこともできる。



問われると、いろいろと出てくるのがおもしろい。

もっといろいろと出てきそう。。。


矛盾した潜在意識/苦しみや悲しみに寄り添う

 つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。 今朝は朝から天気が良かったので、大きな神社まで約3Kmの早朝散歩。 歩きながら、そして立ち止まって、いろいろなことに想いが巡った。 ●矛盾した前提を抱える「私」 自分の中にある暗黙の前提に意識を向けてみると、いろ...