2020年11月13日金曜日

「幸せ」を考える

 「幸せ」を考える


【友人の投稿の先にあった問い】

「Q.いま、どのくらい幸せを感じていますか?それはなぜだと思いますか?またはどうなったら幸せを感じられると思いますか?」


思いがけず、良い問いをもらった!

せっかくなので、「幸せ」に向き合わせてもらった(^^)


【そのときの私の回答】

4点/5点満点 十分に幸せだと感じるけど、まだ探究中だから。


どうなったら幸せを感じられるか…思い付くままに・・・


●小さなことにも、ありがたいと思えること

 例えば、食べる時:野菜や果物は、植物のカラダ自体だったり、次の世代を生み出す種子だったりする。ご飯やパン、麺類は、イネや麦の「種」。卵もそう。肉は、動物の体そのもの。私の食=命のために、命を提供してもらっていることへのありがたさ。

だからこそ、大切にしたい、必要以上には摂らないという気持ちにもつながる。


●自分の人生すべてが幸せだったと整理がついていること

 どんな出来事にも良い面と悪い面があるけれど、悪い面に捉われて良い面を見ていないことが多い。

 例えば、人間関係での苦しみが、自分自身の内面を見つめる力を育み、苦しんでいる人への共感ができるようになった、などその時はネガティブな出来事に思えても、あとから振り返ると価値ある体験だったことは少なくない。人生の苦しみや悲しみをふりかえって、そこから生まれたポジティブない意味付けができると、人生を生きやすくなる。


●自分が置かれている環境全体への関心、時間・空間的な広いつながりを意識できること

 空の青さ、雲の流れ、雨の日の静かな空気感、路傍の草や花、木々の緑、業務前に道路を掃除している方々の姿、子どもたちのために横断歩道に立つシニアの方々・・・そこにある美しさや感動、思いやりの気持ち等を感じることのできる感性と育むこと。幸せを感じる種は至るところにちりばめられている。


●感情が揺り動かされる出来事は、自分自身を知り、成長させる契機だと気づくこと

 家族や親族とのつながり、これまで関わった方々との様々なつながり、その中で起きた感情が動かされる様々な出来事の一つ一つが自分自身を形成してきたことを認識すること。

すべてが凝縮された「私」は、私一人では創れなかった。

その時々に上手く受け止められずにいたことがあっても、いまの「私」は受け止め直すこともできる。



問われると、いろいろと出てくるのがおもしろい。

もっといろいろと出てきそう。。。


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