2021年10月31日日曜日

11月、自分のリセットを兼ねて

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます!


朝に感謝の時間を持って、その内容をブログに記録することを始めたのが4月。

やるべきことにかまけて、ブログを毎日書くことをやめて

次第に、感謝の四方拝だけをおこなうようになり、

やがて、それすらもあやふやになっていった。

そして、10月頃から、再度四方拝に心を込めるようになって

その意味の深さを再度感じるようになってきた。


11月、新たな月が始まることと、

緊迫した空気感が徐々に染み出してきているので

再度、ブログを再開してみようかな、と思いはじめた。


地球への感謝

そして宇宙に満ちた慈愛のエネルギーの一助になりたいという想いを

大切にしながら、そこに意識を向ける時間とあり方をしっかり確保したい。


感謝の想いがすべてをつないでいく、あの感覚をもう一度味わいたい。

そして、その先の世界を体験してみたい、という想いもある。


自分のリセットも兼ねて!

自らの人生を使った壮大な生き方の試行実験、順調!!


2021年10月27日水曜日

故人への感謝

 つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。


ようやく、以前のような感覚で四方拝ができるようになってきた

形だけやっている時は、わずか1分足らずの四方拝が苦痛だったが、

心を込めて大切に行うようになって、

徐々に喜びの感覚が戻ってきた感じがする


今日は、子供の頃に少しだけ接点のあった遠戚のおばあさんが浮かんできた

小学校の低学年の頃、通学路で会って挨拶したら、とても喜んでくれた記憶がある

その笑顔のおばあさんの記憶に、ありがとうございます、という感謝の想いを送る


一人で成長してきたように思っているけど

いろんな方々と接する中で

大小さまざまな影響を受けてきたんだなぁ


そう思うと

祖父の妹の大叔母さんが、博物館で仕事をしていて、

子どもの頃、博物館に行くと声をかけてくれたことを思い出した


また、幼い頃、近所に住んでいた父の従弟の家に遊びに行って、

プラモデルを作ってもらったこともあったなぁ

その方も数年前にがんで亡くなられた。。。

そこのおばあさん(父の義叔母)にも優しく接してもらった!


接した回数は少ないのに

いろんな方々の思い出が胸の中にたくさん眠っている

ご縁のあった方々の顔を思い浮かべながら

ありがとうございました、と感謝の想いを送る


胸の奥から

何かジーンとした感覚が広がっていく

お礼を伝えることで

満たされた感覚を味あわせていただいている不思議


「供養」とは、養いを供えると書く

「養」には、「心を豊かにする」という意味があるそうだ

縁ある故人に、感謝の想いを送ることが、供養になると思っていたが

「供える」どころか、こちらの心を豊かにさせてもらっている

次の世代にも、優しく慈しみを持って接していこうという想いになる

ホントにありがたい!






2021年10月20日水曜日

壱岐訪問

10月中旬、2泊3日の日程で、初めて壱岐を訪れた

半分は仕事絡みではあったけれど、
どうしても壱岐に行く必要があったわけでもない
行くことの必然性のようなものは感じていたが、
その理由は分からない。
なぜ今回、壱岐に行くことになったのだろう?

実は、9月下旬から10月上旬にかけて、
不思議と3つの神社を訪れる機会があって、
何となく壱岐行きとのつながりを感じていた

コロナ禍で外出を控えているため、
こんな短期間に3つの神社を訪ねること自体がとても珍しい感覚だった

・背振山頂 背振神社上宮
 創建年代は不明
 神功皇后が三韓親征から帰国の際、
 無事に帰ってくることが出来たことに感謝して
 脊振山頂に宗像三女神を祀ったがはじまりと伝えられる
・佐賀市の本庄神社
 563年創建 祭神は豊玉姫
 縁起では「我は是淀姫の神霊也」と霊験を示されたとある
・福岡と佐賀の県境に近い富士町上無津呂の淀姫神社
 513年ごろの創建、祭神は豊玉姫

どこも水と海に関わる古代からの神社で、
おそらく社の形態を整える前の時代、
神籬(ひもろぎ)と磐座の時代からの流れを感じる

これも、
どんな意味があるんだろう、
と思ったが良くは分からない
ただ、壱岐行きが決まっていたので、
何かしらつながりがあるのかもしれない
という感覚がぼんやりとあるだけ。

これらを踏まえての壱岐訪問
島内には、神社本庁登録の神社だけでも150社、
小さな祠などを含めると1000以上あるそうだ。
人口2.6万人に対して多すぎるようにも感じる。

古事記の「国生み神話」では、
淡路島、四国、隠岐島、九州に続いて
5番目に生み出されたのが壱岐とされる

今回、現地での行動は、壱岐在住の知人にお任せ
数年前に福岡市の市街地から移住されたご夫婦

宿泊地以外はどこに行くことになるのか、全く未知だった

結果としては、滞在期間のほとんどを、
辻の原遺跡(王都復元公園)の近くで過ごした。
神社には一切行くことはなかった。

魏志倭人伝の時代の壱岐国の王都の遺跡の近くで、
古代米の稲穂を眺めながら
弥生時代の生活に意識が向いた

私たちが目指す人と自然の関係は、
共存・共生という語感とはまた違う、
人が自然の一部であるような調和した関係であることが大切なんだ
と感じて、これからの私たちが目指すあり方への深い示唆をいただいた気がした
このために、壱岐を訪れたのかもしれない!

同時に、元寇による被害にも意識が向いた
ほとんどの島民が虐殺されたそうで、
島内には元寇の被害者を弔ったいくつもの千人塚がある
元寇の後、
福岡や佐賀から移住したとされているため、
現在の島民の方々はその子孫なのかもしれない
歴史の断絶・・・

虐殺された島民の方々の無念、
それを弔った方々、
その後に移住した方々の想いに
意識を向けてみると、何とも言えないとても複雑な気持ちになる。

どのように慰霊したらいいのだろう
それらの犠牲が語り継がれ、
後世の人々の生き方や考え方に影響し、
歴史を紡いできたのかもしれない
どんな形であれ、
現在まで続いている影響が残っているようにも感じる。

同時に、
そうした歴史の積み重ねの上に、
いま生かされていることを思う。

案内いただいたご夫婦は、
いまでは地元の方々に教えてもらって
立派な野菜を作れるまでになったと
語ってくださった

羨ましい思いが膨らんでくる!



2021年8月24日火曜日

存在の根源の場

=今日の虚言・妄言=


ユングが共通無意識を提言したように、
動物も植物も生命あるものはすべて、根源の生命エネルギーとつながっている


すべての生命体の根源に生命エネルギーとのつながりがあるからこそ、

互いに感じることができるし「理解」することができる


ここで「理解」するというのは、相手の気持ちや考えが分かるということではない

大きな生命体のごとくに、互いがつながった調和した状態であることができるということ


しかし、人間は自由意志を持っているので、それを基に行動の選択ができるが、

他の生命体はそうではない


うまく表現できないが、

他の生命体には、人に宿る「魂」の断片のようなものが含まれるような感覚がある

生命のサイクルも人より短いし、循環も早い

その分、たくさんの異なる状態を体験を重ねていく


そして、根本の生命のエネルギーに還ったり新たに出たりする

その循環の中でたくさんの経験を蓄積していく

その経験が、生命体として共有される


あぁ、この積み重ねられたものが

アカシックレコードと呼ばれるものなのだろうか

すべての生命のすべての経験が蓄積されている


「魂」を通して、その奥底深くに潜ってみよう

意識の奥底深くに潜って、潜在意識を垣間見るような感覚でできるだろうか。。。


あぁ、更にその先に生命だけでなく、すべての存在につながる場がある


人の意識 → 根源の生命エネルギー → 存在の根源の場


これは、3次元の存在だけでなく、多次元の存在までも含む

さらには、そして存在とは呼べぬもの ー光や闇、虚無な空間などー までも含む

これらがすべて折り重なって、「いま、ここ」がある



書き始めた時は、こんなところに行きつくとは思いもしなかった。。。

すべてに感謝を捧げよう!


2021年8月21日土曜日

あらゆる存在とのつながり

あらゆる存在とのつながり、関わりの中に生かされていることに、感謝いたします。


今朝の四方拝では、

随分以前に、

自然界の様々な動植物や風や雨などまでも含めた大きなつながりを感じた時に、

人だけがそのつながりの輪から外れていることに気づいて、愕然としたこと

を思い出した。


必要以上には獲物をとらない自然界の習性も素晴らしい

食されたものは、食べたものの一部となり生き続ける


人も同じように自然界から命の糧をいただくが

人は感謝することができる

それが他の万物との大きな違いなのかもしれない

存在の価値を認め、敬意を払う


「いただきます」という習慣は

命を捧げてくれた動植物に対する最高の感謝

それは血となり肉となり私の一部となる

そして共に生きていく


食するという行為は

私の中に共に生きていくこと


私の体は地球によって作られている

私の体は太陽の恵みによって作られている


感謝することは、その存在に価値を付与すること

少なくとも私にとっては十分な価値があったことを意味する

それはそのままその存在の存在価値の一部となる


それを土台にして、感謝の想いを持ちつつさらに良いものを作っていく

それが自然界に対する万物の霊長としての人の責任かもしれない


そしてこれは人が作ったコミュニティ組織においても同じことが言える

先人の歩みの土台の上に今はいませて頂いてることへの感謝


私の使命はその土台の上により良い未来を築いていくこと

魂が受け入れられ、成長し、意味を感じる人生を送れるように


2021年8月5日木曜日

イメージの中での四方拝

つながりと関わりの中に生かして頂いて
ありがとうございます


早朝からちょっとバタバタと出かけたので

訪れたカフェで、少し落ち着てから、

目を閉じて、イメージの中で、

いつもの自室で四方拝を行う


ーーー

うまく表現できないが

異なる次元の世界は現世と同じ空間に存在する


デジタルは電磁波の世界なので、

この空間の壁を越えることがある


意識のエネルギーも

波長が合えば、同じようにこの壁を越える

ーーー


そんなことを思いながら、

四方拝に続いて

呼吸と瞑想の時間に入った

朝早かったためか、直ぐにうとうとしてしまう

 

気を取り直して

久しぶりに何も考えない呼吸&瞑想をやってみよう!

 

カラダを感じる

腰の右側に鈍い痛みがある

このところ姿勢が悪い状態が続いていたのかもしれない

背筋を伸ばして、姿勢を整える

痛みに意識を向けると、消えていった


穏やかで平安な感覚が広がる


あぁ、このところ、意識が

「やるべき」ことに追われて焦っていたんだ!


こういう時間もまた貴重で大切。。。


2021年8月3日火曜日

内面の声に耳を傾ける

つながりと関わりの中に生かして頂いて、ありがとうございます


朝晩の感謝の四方拝が、少しずつ全ての存在に向けたものになってきた気がします

同時に、四方拝だけになっているため、内面的な深まりが浅い気もします


朝の鳥のさえずりが、一時期カエルの鳴き声に変わり、そして今は蝉の声

耳の届く、その時々の音に

時間の流れと季節の移り変わりを感じる


同時に、自分自身のことがほとんど進んでいないもどかしさ


感じることと考えることの違いをしっかり意識しながら

自分の内面の声に耳を傾けてみる


最近あまりできてなかったなぁ


環境は常に同じではなく

むしろ変化し続ける

それに影響されて、心のありかも移ろってゆく


それでも立ち返ることのできる軸が必要


朝晩の感謝の時間や

内面の声に耳を傾ける時間は

そのための貴重な機会


こうした文章は、

考えながら入力するより、

先に声(音)に発した言葉を紡いでいっり

心の声を書き進めたほうが早い


そんなことに改めて気付かせてもらう時間でした


2021年8月1日日曜日

朝日のエネルギー、世界樹に

近くの氏神様に月参りをしていなかったので、 夕方に目を閉じてイメージの中で行った


一度行ったことのあるところ、接したことのある人に対しては

直接行くこと・会うことができなくても

意識を合わせることができることを使ってみた


外出先だったので、周囲のザワザワでイメージが定まらず、

「画像」が乱れる感じもあって、これもまた新鮮だった


静かな場所で、再度、イメージの中で丁寧にお参りし直した


朝の時間に、鳥居で拝礼して参道を進んでいく


ふりかえって鳥居を通して届く朝日の光をイメージ

その朝日のパワフルさに圧倒される

社殿の前で軽く一礼して拝殿に入る

二礼二拍手して、感謝を伝え、大きく一礼


朝日の光のエネルギーが、社殿の下から天に向かってものすごい勢いで伸びて行く

太い幹の大きな大樹となって、世界樹のようだ


まばゆい光だったものが、実色を帯びてきて、物質として定着する感じ

たくさんの緑の葉が茂り、大きく広がった枝に守られた大地

はじめは直径100mくらいだったが、イメージでさらに高く大きく広げた


大分県玖珠の伐株山の伝説を思い出す


2021年7月25日日曜日

習慣はフレームの中へ自分を定着させること

つながりと関わりの中に生かしていただいて
ありがとうございます。


四方拝は、天地の神々に捧げるというよりも

過去も含めた存在全てに対する感謝を捧げるのかな

感覚が変わりはじめた


そうであれば、

視点や感覚はかなり異なるけれど

地球を抱いて感謝を伝えることと

同じ意味を持っていたことになる

 

存在してくれたこと

様々な環境の中にあっても歴史を紡いでくれたこと、

その土台の上に「いま」がある

 

感謝を捧げることで、

その時々の経験の意味付けに変化が生まれる

 

辛く、苦しく、怨み多い体験であったとしても

そこにそれまでとは異なる前向きな意味付けが生まれると

感情が解かれていく道が開く

 

感謝を捧げることは

この転換を促していくこと

 

「事実」に対して

より生きやすい意味付け、価値を感じられる意味付けを行う

 

 

毎日続けていくことで

そのフレームの中に自分を定着させていく

あぁ、これが習慣化なのか

 

その習慣をやめると

時間と共に、環境に流されやすくなっていく

 

習慣化を嫌ってきたことが

可能性の幅を広げてきたが、

その分、周囲に流され影響されてきた

混沌と混乱、そして大きな悩みを持ち続けることになった

 

そんなことに気づけたことも

またありがたい!


2021年7月23日金曜日

過去への感謝が未来を創る

 つながりとかかわりの中に生かして頂いて

ありがとうございます

 

コロナ禍の中、

家族以外の他者との対面はほとんどないにもかかわらず、

ほぼ毎日オンラインで全国の多様な方々と接し、

刺激や気づき、学びをいただいていることは

奇跡のようなありがたいことだと感じます

 

朝晩の四方拝だけ行って、朝の感謝の時間を省いて一か月

 

四方拝そのものすら億劫になっている自分の心のあり方に愕然とする

 

最近思うのは

感謝の時間があるからこそ

現実を推し進めるエネルギーが湧いてきていたということ

 

感謝の時間を省いて

現実の様々な対応の時間を増やしていった結果

やることそのものが目的となり

それを何のためにやるのかを見失ってしまいがちになる

そして

やることに対する目的意識、やりがい、情熱、エネルギーが失われていく

 

世界との内的なつながりや

自分の歩みの目的を

しっかり確認しながら歩んでいくことは

やることそのものに対する大きな意味づけになり

歩んでいくエネルギーになる

 

4月にスタートした時には

まさかこんな展開になるとは夢にも思っていなかった

しかしこの経験をすることで

朝晩に内面に向き合うことの大切さを実感することができた

 

朝夕の祈りや勤行などの宗教行為は

こうしたことに裏付けられているのかもしれない


いま私は世界とのつながりを感じているだろうか

 

過去に肯定的な意味を付与し

感謝を捧げ伝えることで

それを土台に未来を創っていく意思を表明する 

そんな歩みができているだろうか

 

そうした人生の歩みを続けたい!


2021年7月13日火曜日

死に向かって歩む人生の中で

つながりと関わりの中に生かして頂いて
ありがとうございます

久しぶりにこうして

心の動きを記録する機会を持つことができたことは

自分にとって大切な時間であるように感じています


人はみな、生まれたその時から、

自らの死に向かって一歩ずつ歩みを進めていく


そして死を迎えた時、

この世で得た全てのものを置いて、

魂だけになって帰っていく

その魂に何を刻んでいくのか


刻まれているのは

様々な体験

そこで感じた思い



貴重な一度きりの人生で何を味わうのか


無限の自由とそれに伴う無限の責任

まっさらなキャンバスに

時々刻々と自らの選択の跡が

言動として描かれていく


その言動を引き起こすのは

心の奥底のあるにある不安や恐れ、恐怖心


そしてそれを作り出したのも

また自らの歩みの結果である


いかにそうしたものに縛られ引きずられて

自らの歩みを重ねてきたことか

もったいない人生だったと

後悔するのかもしれない


それではどんな歩みであれば

納得できる人生を送ることはできるのか 


人生の終焉の時に気づくのではなく

早めに気付くためのサポートをしたい


最後に持って行くのは

生老病死、喜怒哀楽

全ての体験を意味あるありがたいものと感じられるこころ


その心によって選択された言動が紡ぎ出すあゆみ

その歩みが積み重なって

全てのものに感謝の念を覚える心の在り方が整っていく


すべてに感謝の念を持って生きることができたとき

それは至福の人生であり

何ものにも換えることのできない貴重な魂の輝きとなる


生まれたその瞬間から

死に向かって歩み続けることに

しっかりと向き合う

だからこそ見えてくるものがある


この世で生きたい生き様を成し遂げるために

お金や物が必要だとすれば、求めたら良い

必要なければ求める必要もない


必要なものは得られ

必要でないものは得られない

ただそれだけ


感謝に満ちた至福の人生を

自らだけでなく

多くの方にも味わっていただきたい


そのためにモノが必要であればモノを

お金が必要であればお金を

求めれば良い


そして、自らのところに留める必要はない

モノや金は

必要なところにただ循環すれば良い


モノやお金に

とらわれる必要はない 目的・目標にする必要もない


感謝に満ちた至福の人生を送る人が増えるための

手段として必要であれば求めればいい


矛盾した潜在意識/苦しみや悲しみに寄り添う

 つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。 今朝は朝から天気が良かったので、大きな神社まで約3Kmの早朝散歩。 歩きながら、そして立ち止まって、いろいろなことに想いが巡った。 ●矛盾した前提を抱える「私」 自分の中にある暗黙の前提に意識を向けてみると、いろ...