10月中旬、2泊3日の日程で、初めて壱岐を訪れた
半分は仕事絡みではあったけれど、
どうしても壱岐に行く必要があったわけでもない
行くことの必然性のようなものは感じていたが、
その理由は分からない。
なぜ今回、壱岐に行くことになったのだろう?
実は、9月下旬から10月上旬にかけて、
不思議と3つの神社を訪れる機会があって、
何となく壱岐行きとのつながりを感じていた
コロナ禍で外出を控えているため、
こんな短期間に3つの神社を訪ねること自体がとても珍しい感覚だった
・背振山頂 背振神社上宮
創建年代は不明
創建年代は不明
神功皇后が三韓親征から帰国の際、
無事に帰ってくることが出来たことに感謝して
脊振山頂に宗像三女神を祀ったがはじまりと伝えられる
・佐賀市の本庄神社
563年創建 祭神は豊玉姫
・佐賀市の本庄神社
563年創建 祭神は豊玉姫
縁起では「我は是淀姫の神霊也」と霊験を示されたとある
・福岡と佐賀の県境に近い富士町上無津呂の淀姫神社
513年ごろの創建、祭神は豊玉姫
・福岡と佐賀の県境に近い富士町上無津呂の淀姫神社
513年ごろの創建、祭神は豊玉姫
どこも水と海に関わる古代からの神社で、
おそらく社の形態を整える前の時代、
神籬(ひもろぎ)と磐座の時代からの流れを感じる
これも、
どんな意味があるんだろう、
と思ったが良くは分からない
ただ、壱岐行きが決まっていたので、
何かしらつながりがあるのかもしれない
という感覚がぼんやりとあるだけ。
島内には、神社本庁登録の神社だけでも150社、
小さな祠などを含めると1000以上あるそうだ。
人口2.6万人に対して多すぎるようにも感じる。
古事記の「国生み神話」では、
淡路島、四国、隠岐島、九州に続いて
5番目に生み出されたのが壱岐とされる
今回、現地での行動は、壱岐在住の知人にお任せ
数年前に福岡市の市街地から移住されたご夫婦
宿泊地以外はどこに行くことになるのか、全く未知だった
結果としては、滞在期間のほとんどを、
辻の原遺跡(王都復元公園)の近くで過ごした。
神社には一切行くことはなかった。
魏志倭人伝の時代の壱岐国の王都の遺跡の近くで、
古代米の稲穂を眺めながら
弥生時代の生活に意識が向いた
私たちが目指す人と自然の関係は、
共存・共生という語感とはまた違う、
人が自然の一部であるような調和した関係であることが大切なんだ
人が自然の一部であるような調和した関係であることが大切なんだ
と感じて、これからの私たちが目指すあり方への深い示唆をいただいた気がした
このために、壱岐を訪れたのかもしれない!
同時に、元寇による被害にも意識が向いた
ほとんどの島民が虐殺されたそうで、
ほとんどの島民が虐殺されたそうで、
島内には元寇の被害者を弔ったいくつもの千人塚がある
元寇の後、
元寇の後、
福岡や佐賀から移住したとされているため、
現在の島民の方々はその子孫なのかもしれない
歴史の断絶・・・
歴史の断絶・・・
虐殺された島民の方々の無念、
それを弔った方々、
その後に移住した方々の想いに
意識を向けてみると、何とも言えないとても複雑な気持ちになる。
どのように慰霊したらいいのだろう
それらの犠牲が語り継がれ、
後世の人々の生き方や考え方に影響し、
歴史を紡いできたのかもしれない
どんな形であれ、
現在まで続いている影響が残っているようにも感じる。
同時に、
そうした歴史の積み重ねの上に、
いま生かされていることを思う。
案内いただいたご夫婦は、
いまでは地元の方々に教えてもらって
立派な野菜を作れるまでになったと
語ってくださった
羨ましい思いが膨らんでくる!
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