2022年1月25日火曜日

救いのシステムとプロセス

天国・極楽も、地獄も、同質の人が集まる世界

仏教の須弥山の世界、三千大千世界も同じような構成のように感じる

異次元の世界は、こういう傾向が強い


変化に乏しく、つまらないことはないだろうか?


この世界だけが多種多様なものが混在して存在する特殊な世界

それは、なぜか?



例えばデパートのビルの中にいる人たちが、

同じ時空にいても、まったく接点のなく関わらないことがあるように、

厳密にいうと、同じ次元に存在しても

交わるものと交わらないものがある。


それでも、異なる性質の存在が交流しやすい環境であることには違いない

異なるものが交わると、コンフリクトが生まれる


その違いを越えて受容できるようになった分だけ、

カバーできる範囲が広がる

それが究極に広がった状態の世界が、天国・極楽なのだろう


違いを越えて受け入れることにチャレンジができるのは、

異質なものが同居する世界

つまり、この世界!

とても貴重な世界だということがわかる


この世界は、各世界とつながっている

見方を変えると

各世界をつなぐ通路のような世界なのかもしれない


自己中心的な存在だけの世界は存続できない

利他的に、全体のために行動する存在に寄生するように存在するしかない

だからこそ、永遠の苦しみを生み出してしまう

これは、癌細胞などをイメージすればよく分かる


そのため、見え方によっては、

各世界の綱引き、覇権争いの現場ようにも見えるかもしれない

しかし、それは意図されたものではなく、

それぞれの世界の性質を考えると、自然とそういう構造になるようにも感じられる


この世界から多様性が失われると

その貴重な世界がなくなることになる


自律性・主体性を制限する勢力によって、この世界が支配されたとしても

永遠に続くことはない

しかし、その体制が揺らいでいくプロセスにおいて、

多数の恨みや憎しみ、不信などの心が生まれ

負の感情エネルギーが充満してしまう


それを解きほぐすために、多大なエネルギーと時間を要する


それでは、どうするか?


自己中心に生きる世界は、

そうでない世界がなくなると、存在できなくなるので、

完全に滅ぼしたりしない


利他性を持ち他者を受容する世界は、

受容することを学ぶためには自己中心的な存在や自分とは異なる存在が必要だが、

そのキャパを越えると受容できなくなる


自己中心的な存在を、その次元の世界(=地獄)に取りまとめ(=閉じ込め)て、

受容できる分だけこの世界に表れてもらう

これが上手く回ると、地獄は徐々に小さくなり、やがて消滅する


構造的には、こういった仕組みを設けて

「最悪」の世界から順番に徐々に小さくしていく


これが「救い」のプロセスではないだろうか。


宗教の布教のシステムは、この象徴的な形態なのかもしれない

上手く回っているとはいいがたいかもしれないが・・・


2022年1月18日火曜日

死を受け入れる縄文の知恵


 風葬、鳥葬・・・ 遺骸が自然の中にさらされて朽ちていく

 それを遺族も本人の魂も見ていく

 共に死を受け入れるプロセスでもありそうだ


 霊魂はそこにとどまり、遺族はそこで祀る

 死の自覚と遺族の祀り

 昇華も早いことだろう

 自縛して留まることがない


 縄文時代の霊的な軽さは、

 こうしたところにも起因しているのかもしれない


 また、氏神の起源は、そうした地なのではないだろうか

 先祖を祀る祖霊の地


 産土神とはルーツが異なりそうだ


2022年1月11日火曜日

イザナミとカグヅチ

日本の神話では、イザナミ神は、子のカグヅチ(火の神)を産み落とした時のやけどが原因で死に至ったとされる。

なぜ、イザナミ(親)はカグヅチ(子)の火が原因で死に至るのか?

親が持ち合わせる要素が、子供に顕現する

自ら産んだ子供の持つ要素は、親も持ち合わせている


なのに、どうしてイザナミはカグヅチの火が原因で死に至るのだろうか?



ふと浮かんできたことは、

人が生み出した原子力/核兵器が、人を死に至らせること

自らが生んだ「火」で自らを亡ぼすことを想起させる


火星起源説のアクァッホ話の2つのグループの争いと、

イザナギ・イザナミの争いはオーバーラップしていないだろうか?

1000人を黄泉につれていく/1500人を誕生させる


メポソタミア神話のエンキとエンリルの神話も絡んできそうな感覚


新たな探究のテーマかな、、、


2022年1月6日木曜日

相手のために何ができるのか

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。


本日、目に留まったフレーズ

「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、

 あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」

      ーージョン・F・ケネディ/大統領就任演説(1961 年)より

出典:https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2372/


●「あなたの国」を「会社」に置き換えてみると・・・

「会社があなたのために何ができるかを問うのではなく、

 あなたが会社のために何ができるのかを問うてほしい」

理想論としては分かるけど、現実としてはそんな気持ちにはなりにくいかも。。。


●「あなたの国」を「相手」に置き換えてみると・・・

「相手があなたのために何ができるかを問うのではなく、

 あなたが相手のために何ができるのかを問うてほしい」

夫婦の関係を前提に見てみると、、、

う~ん、悩ましい。。。この視点は持つことができてなかった



自分自身を振り返る機会は、
どこにでもある

必要な時に
必要なことが
立ち現れてくる

ありがとうございます。

2022年1月3日月曜日

無人の小さな氏神社

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。

新年の初めは、

実家の近所のお寺の境内にある

無人の氏神社にお参りした。


根拠はないが・・・

風葬なのか土葬なのか分からないが、

おそらく縄文時代から

亡くなった人を葬り、祖霊を祀る場だったところだろう


やがて氏神として

祀られるようになったのではないかと感じている


そうであれば、

少なくとも2,000年以上も前から

綿々と続いて来たことになる


私の家系が現在の実家の地に来たのは、

150年ほど前の江戸から明治に変わるころ。

武家の三男だった祖父の祖父が、

この地の娘さんと結婚して、

隣接する土地を分けてもらって家を建てたようだ。

その神社のお祭りで活躍していた

との話を聴いたことがあるので、

その頃からの神社との関わりなのだろう。


よそ者としてこの地に入り、

氏子に加えていただき、

受け容れてもらってきた。


いま、その無人の小さな神社を

何とか守りたいと願っている自分がいる。


栄枯盛衰、万物流転・・・

変化し、流れていく中で、

大きなことができるわけではないが、

ただ大切に思いを込めて、

感謝を捧げていきたい。


2022年1月1日土曜日

自分の中にある浅ましさ

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。

元旦、1年の始まりなのに、不思議とあまり「始まりの感じ」がしない


新年は

既に1週間も10日も前に始まっていて

遅れて新年を祝う儀式として、

元旦を迎えているような不思議な感覚


ーーーー

元旦早々、家族と口論して険悪な雰囲気になった


気分を害するような振る舞いをされたときや

何か不利益やことをされたり、邪魔立てされた時に

 ちくしょー、仕返ししてやる

 思い知らせてやる

 困らせてやろう

という想いが無意識のうちに反射的に湧いてくる


クルマを運転している時だったので

この感情のままだと事故を起こしかねない、と

何とか自分の気持ちを落ち着かせることを優先した


一歩引いて、その想いの流れを眺めていると、

あぁ、なんとあさましい自分なんだろう

と醒めた思いになる


ーーーー

あとから、振りかえって

ふと浮かんできたのは

幼稚園や小学校の低学年の頃のこと。


新しい友達との交流が始まると

ケンカしたり、言い争ったりすることも増えた


そんな場面で、

相手をののしる言葉を掛けられると

決まって悔しい思いをすることが多かった


特に兄姉を持つ友人らは、語彙が豊富だった


そんな発想はみじんもなかったので、

どう返したらいいのか、わからない

戸惑いと悔しさで胸がいっぱいになる


何度も何度もその悔しさを反芻しながら

何とか反撃する方法を考えていた


ーーーー

そうした経験を重ねる中で、

自分の胸の中で育まれてきた思考のパターンが

いまなお、

自らの内で生きていることに驚愕した


何十年もの間、

無自覚に繰り返されてきた

心の動き


自分自身の浅ましさの源流を見た気がした


そうした心の動きは、周囲からは見えにくい

誰かが正してくれるわけではない


自らの内に、分別が芽生えたら、

幼い過去の自分を癒してあげるプロセスが必要だった


いや、いまからでも遅くない!

過去の自分の心の痛みを

しっかり受け止めて、

癒していこう


それが、

新しい自分を創っていくことになる


矛盾した潜在意識/苦しみや悲しみに寄り添う

 つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。 今朝は朝から天気が良かったので、大きな神社まで約3Kmの早朝散歩。 歩きながら、そして立ち止まって、いろいろなことに想いが巡った。 ●矛盾した前提を抱える「私」 自分の中にある暗黙の前提に意識を向けてみると、いろ...