天国・極楽も、地獄も、同質の人が集まる世界
仏教の須弥山の世界、三千大千世界も同じような構成のように感じる
異次元の世界は、こういう傾向が強い
変化に乏しく、つまらないことはないだろうか?
この世界だけが多種多様なものが混在して存在する特殊な世界
それは、なぜか?
例えばデパートのビルの中にいる人たちが、
同じ時空にいても、まったく接点のなく関わらないことがあるように、
厳密にいうと、同じ次元に存在しても
交わるものと交わらないものがある。
それでも、異なる性質の存在が交流しやすい環境であることには違いない
異なるものが交わると、コンフリクトが生まれる
その違いを越えて受容できるようになった分だけ、
カバーできる範囲が広がる
それが究極に広がった状態の世界が、天国・極楽なのだろう
違いを越えて受け入れることにチャレンジができるのは、
異質なものが同居する世界
つまり、この世界!
とても貴重な世界だということがわかる
この世界は、各世界とつながっている
見方を変えると
各世界をつなぐ通路のような世界なのかもしれない
自己中心的な存在だけの世界は存続できない
利他的に、全体のために行動する存在に寄生するように存在するしかない
だからこそ、永遠の苦しみを生み出してしまう
これは、癌細胞などをイメージすればよく分かる
そのため、見え方によっては、
各世界の綱引き、覇権争いの現場ようにも見えるかもしれない
しかし、それは意図されたものではなく、
それぞれの世界の性質を考えると、自然とそういう構造になるようにも感じられる
この世界から多様性が失われると
その貴重な世界がなくなることになる
自律性・主体性を制限する勢力によって、この世界が支配されたとしても
永遠に続くことはない
しかし、その体制が揺らいでいくプロセスにおいて、
多数の恨みや憎しみ、不信などの心が生まれ
負の感情エネルギーが充満してしまう
それを解きほぐすために、多大なエネルギーと時間を要する
それでは、どうするか?
自己中心に生きる世界は、
そうでない世界がなくなると、存在できなくなるので、
完全に滅ぼしたりしない
利他性を持ち他者を受容する世界は、
受容することを学ぶためには自己中心的な存在や自分とは異なる存在が必要だが、
そのキャパを越えると受容できなくなる
自己中心的な存在を、その次元の世界(=地獄)に取りまとめ(=閉じ込め)て、
受容できる分だけこの世界に表れてもらう
これが上手く回ると、地獄は徐々に小さくなり、やがて消滅する
構造的には、こういった仕組みを設けて
「最悪」の世界から順番に徐々に小さくしていく
これが「救い」のプロセスではないだろうか。
宗教の布教のシステムは、この象徴的な形態なのかもしれない
上手く回っているとはいいがたいかもしれないが・・・