つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。
元旦、1年の始まりなのに、不思議とあまり「始まりの感じ」がしない
新年は
既に1週間も10日も前に始まっていて
遅れて新年を祝う儀式として、
元旦を迎えているような不思議な感覚
ーーーー
元旦早々、家族と口論して険悪な雰囲気になった
気分を害するような振る舞いをされたときや
何か不利益やことをされたり、邪魔立てされた時に
ちくしょー、仕返ししてやる
思い知らせてやる
困らせてやろう
という想いが無意識のうちに反射的に湧いてくる
クルマを運転している時だったので
この感情のままだと事故を起こしかねない、と
何とか自分の気持ちを落ち着かせることを優先した
一歩引いて、その想いの流れを眺めていると、
あぁ、なんとあさましい自分なんだろう
と醒めた思いになる
ーーーー
あとから、振りかえって
ふと浮かんできたのは
幼稚園や小学校の低学年の頃のこと。
新しい友達との交流が始まると
ケンカしたり、言い争ったりすることも増えた
そんな場面で、
相手をののしる言葉を掛けられると
決まって悔しい思いをすることが多かった
特に兄姉を持つ友人らは、語彙が豊富だった
そんな発想はみじんもなかったので、
どう返したらいいのか、わからない
戸惑いと悔しさで胸がいっぱいになる
何度も何度もその悔しさを反芻しながら
何とか反撃する方法を考えていた
ーーーー
そうした経験を重ねる中で、
自分の胸の中で育まれてきた思考のパターンが
いまなお、
自らの内で生きていることに驚愕した
何十年もの間、
無自覚に繰り返されてきた
心の動き
自分自身の浅ましさの源流を見た気がした
そうした心の動きは、周囲からは見えにくい
誰かが正してくれるわけではない
自らの内に、分別が芽生えたら、
幼い過去の自分を癒してあげるプロセスが必要だった
いや、いまからでも遅くない!
過去の自分の心の痛みを
しっかり受け止めて、
癒していこう
それが、
新しい自分を創っていくことになる
0 件のコメント:
コメントを投稿