つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。
「ブッダ」という言葉は、
サンスクリット語の「ブドゥ」という言葉が語源で、
「ブッダ(仏陀)」には
「目覚めた人」や「覚りを開いた人」
という意味があるそうです。
お釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)も、
覚りを開いた人という意味でブッダと呼ばれます。
ブッダの教えを仏教だとすると、
覚りを開いた人の教え
という意味になるのかもしれません。
それでは、何を教えたかというと、個人的な独断と偏見で超訳すると、
・「ものごとは元来別々の存在である」という認識(分別知・無明)によって、さまざまな人生の苦悩が生まれてきているんだよ。
・実は、ものごとは本来つながっていて一つのものであり、それが様々な実相を持って区別されているにすぎないんだけれど、そのことを知ってそのように捉えることができると、苦悩はなくなっていくんだよ。
・そのために、まずは自らの内に苦悩があることにしっかりと向き合い認めて(苦諦)、その原因となっていることを知り(集諦)、原因を無くして苦を無くす意志を持って(滅諦)、そのための方法(道諦・八正道)を歩んでいけばいいんだよ。(四諦)
ということ。
要するに、
私は人生の苦悩を感じることがあるけれど、
それは「ものごとは元来別々の存在である」という認識から生じているので、
「ものごとはすべてつながっていて一つのものである」
という認識で生きることができるようになろうね。
ということのようです。
それで、
具体的な取り組みの方法も様々に示されているんだけれど、
こうして大枠で捉えていくと、
仏教って生き方の実践のようなイメージで見えてきました。
もちろん、
具体的な取り組みの方法については、
時代や社会背景などによって様々に変遷してきて、
「念仏だけで救われる」「地獄と極楽」
のようなお話しも出てくるのだけれど、
それはそれぞれの時代背景において、
取り組みやすく生きやすくしていくための
方便だったのかもしれません。
本質は、
「ものごとの捉え方(認識)の変容によって生きやすくなるように取り組んでいくこと」
であって、
信じがたいものを信じるような「信仰」とは
違うような気がするのですが、
どうなんでしょうね。。。
宗教というよりも
実践哲学のような印象が強くなっているのですが、
「宗教」って何なのでしょうね?
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