2022年10月5日水曜日

仏教の本質とは?

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。

「ブッダ」という言葉は、

サンスクリット語の「ブドゥ」という言葉が語源で、

「ブッダ(仏陀)」には

「目覚めた人」や「覚りを開いた人」

という意味があるそうです。

お釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)も、

覚りを開いた人という意味でブッダと呼ばれます。

ブッダの教えを仏教だとすると、

覚りを開いた人の教え

という意味になるのかもしれません。


それでは、何を教えたかというと、個人的な独断と偏見で超訳すると、

・「ものごとは元来別々の存在である」という認識(分別知・無明)によって、さまざまな人生の苦悩が生まれてきているんだよ。

・実は、ものごとは本来つながっていて一つのものであり、それが様々な実相を持って区別されているにすぎないんだけれど、そのことを知ってそのように捉えることができると、苦悩はなくなっていくんだよ。

・そのために、まずは自らの内に苦悩があることにしっかりと向き合い認めて(苦諦)、その原因となっていることを知り(集諦)、原因を無くして苦を無くす意志を持って(滅諦)、そのための方法(道諦・八正道)を歩んでいけばいいんだよ。(四諦)

ということ。


要するに、

私は人生の苦悩を感じることがあるけれど、

それは「ものごとは元来別々の存在である」という認識から生じているので、

「ものごとはすべてつながっていて一つのものである」

という認識で生きることができるようになろうね。

ということのようです。


それで、

具体的な取り組みの方法も様々に示されているんだけれど、

こうして大枠で捉えていくと、

仏教って生き方の実践のようなイメージで見えてきました。


もちろん、

具体的な取り組みの方法については、

時代や社会背景などによって様々に変遷してきて、

「念仏だけで救われる」「地獄と極楽」

のようなお話しも出てくるのだけれど、

それはそれぞれの時代背景において、

取り組みやすく生きやすくしていくための

方便だったのかもしれません。


本質は、

「ものごとの捉え方(認識)の変容によって生きやすくなるように取り組んでいくこと」

であって、

信じがたいものを信じるような「信仰」とは

違うような気がするのですが、

どうなんでしょうね。。。


宗教というよりも

実践哲学のような印象が強くなっているのですが、

「宗教」って何なのでしょうね?


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