2022年2月23日水曜日

半病人生活 夢篇(3)

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。

半病人生活で、睡眠時間をたっぷりとっているせいか、

朝起きた時に夢のことを覚えていることが多くなった。


(夢の中で) 

古いお寺の境内にある氏神社にお参りに向かっている。

本堂右手の観音像があったところが土台だけになっている。

本堂に入ると、もぬけの殻、

奉納された大小の丸い人形が数体、奥の左右の棚に残っているだけ。

ご本尊も含めて何もない。


ビックリしつつも、

「あ~、かなり老朽化していたし後継者もいないお寺ということで、その宗が引き上げたのだろう」

と思いながら、氏神社はどうなっただろうか、と観音像の裏にあった社に向かう。

入り口の前には以前のように、石仏が静かに並んでいた。

「これは誰かがお祀りしないといけないなぁ」

と思っているところで目が覚めた。


地元の見知った寺社だけに、少なからずショックを受けた。

こういう近未来もありかもしれない。

が、できれば避けたい。


まったく初めてのパターンの夢、いろいろと考えさせられる。

・高齢化、過疎化、無関心の流れの中で、何百年も祀られてきた寺社が廃れていく。

・人との接点を失い、祀られた存在はどうなっていくのだろう。

・力を失い、本来あるべきところへ戻っていくのだろうか・・・

・一方で、その地で生きてきた先達たちの歩みの足跡が失われる寂莫感

・その寺社で行われてきたであろうさまざまな悲喜こもごもの人の交わり

・そうした人々がこの地に根付いて守り、命の営みを紡いてきたからこそ今がある

・温故知新の「温故」が消えていく。。。

万物流転、これもまた、この世の流れなのかもしれない。

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