こうして、朝の時間を持てることに感謝申し上げます。
かつての遠距離通勤していた頃には、
朝の時間がタイトで
やろうと思ってもなかなか難しかったのかもしれない
コロナ禍の影響で、直接お会いできる方々も少なくなったけれど
だからこそ、様々な形で触れ合う一人ひとりに意識を向けて、
そのありがたさを感じることができるのかもしれない
宇宙や地球、多次元の大きなつながりも大切だけれど
目の前に触れる人やモノ、自然とのつながりもとても大切
すべて相似形になっている
現世では、「個」として生きることを体験するので、
「個」に向けられた意識でないと、受け取れないこともある
他と分かたれた「個」であるという前提の中に
深く留まるのではなく、その前提を再検討して、
異なる理解・解釈の可能性があること(「個」ではない可能性)
に「開かれる」こと
それが「目覚める/覚醒」ということにつながるのかもしれない
創られた意図とは異なる解釈で普及することはよくあること
そこには、創り手の前提の転換が起きていると同時に
受け取る側が、新しいものを従来の「前提」で解釈している現実もある
「前提」は無自覚・無意識に、私たちの生活に深く根ざしている。
小さな「前提」は、日々の体験の中で変容していくこともある
それですら「目からウロコ」の大変な体験なのだけれど
大きな「前提」の変容は、その前提の限界に突き当たって、
もがき苦しむような葛藤の先に生まれるとても稀なこと。
更には、永年慣れ親しんだ元の「前提」で解釈する方向に引き戻されやすいため、
それに負けないくらいの強烈なインパクトを伴わないと定着しにくい。
「前提」を再検討する意識や姿勢は、その取り組みをやりやすくする
「目覚めていない」社会で、その取り組みをすることは
とても骨の折れることだけれど。。。
少しずつでもそういう取り組みを行う人が増えて欲しい
0 件のコメント:
コメントを投稿