2021年11月1日月曜日

頭の良さと浅ましさ

2021年秋の衆議院選挙が終わった
 
今回はなぜか結果がとても気になった
20時ごろから選挙速報をチラ見しながら、
22時以降はほぼ4時間近くネットに張り付いていた。
事前のメディアの報道とは異なる結果に、
何が起きているのだろうと不思議な気持ちになった。
 
さて、開票を速報するメディアで、
「こうすべきだった」と
民衆コントロールのための戦略戦術論を展開するコメンテーターを見た。
 
その論の展開を聴きながら、
その操作的な思考と発想に浅ましさを感じた。
確かに、頭がいいなと思ったし、
そうすれば結果は違ったものになったかもしれない。
しかし、その意見に賛同する気持ちは芽生えなかった。
 
意図的に相手をコントロールする結果優先の思考に、
人間性というか、あり方の浅ましさを覚えて、拒絶感の方が強かった。
 
「勝ってから考えればよい」「まず勝つこと優先」の裏に何があるのか?
勝てば官軍、勝ったものが勝者という思考の裏には、
更にその奥に、「自分たちは優れている」「自分たちは正しい」
という優越思想が垣間見える。
これは「だから、黙って従ってくれればいい」となる。
人間尊重の欠如や相手を操作する価値観が透けて見える。
 
この先に何があるのか。
全体主義やファシズム、共産主義の失敗という形で、
歴史が私たちに示してくれている教訓がある。
 
表面に現れる主義主張、思想以上に、
実際に運営する立場の人たちの根底にある価値観や人間観が
組織の命運を左右する。
 
そして、その価値観や人間観には、
その人自身の人生体験の解釈が大きく影響する
 
こうしたテーマに反応した自分の中にも
同じような要素があるに違いない
 
大なり小なり、相手を操作したくなっていないだろうか?
悪知恵を巡らそうとしていないだろうか?
それを「自分の正しさ」で正当化していないだろうか?
自分の中にある「浅ましさ」に、もっと謙虚に意識を向けてみよう。




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