2018年8月25日土曜日

「マインドフルネス」とか「瞑想」とか・・・

Googleの「マインドフルネス」研修やティク・ナット・ハン師の活動などの影響なのか、ここ数年よく耳にするようになってきた。
 
私自身は、専門的に学んだわけでもないので
何が「マインドフルネス」で「瞑想」なのか良く分からない。
よく理解できていないので、どちらの言葉も口にすることは少ない。

周りには賛意をもっておられる方も、嫌だという方もいらっしゃる。
 
が、個々人の中での定義は(意識されている/されていないにかかわらず)、
人それぞれで異なるものだから、
受け手としてニュアンスの違いを感じることは、よくある。
 
経営者などの「瞑想」の場合、
何らかのテーマに関して、メタ認知的なアプローチによって、
日常とは異なる視点や閃きを得ることを指している場合があるようだ。

テーマに意識をフォーカスする場合や、
内面での自己との対話のようなアプローチをとる場合もある。
フォーカスする現実的なテーマがあるため、顕在意識に近い状態のように感じるが、ちょっと違う。

これはこれでとても有効で、
短時間で意思決定や判断をするのにも、とても助けになると感じる。
 

一方、身体の力を抜いて、意識を開放すると、
半覚醒のような状態になって、とても穏やかで落ち着いた感覚になる。
顕在意識のレベルが低い状態に至ると、
囚われのない感覚でとても心地よい。
疲れも取れる。
これは、これ自体が目的のように思う。

その状態(止)で、そこから自然に意識が定まってくるととより深い感覚(観)に入っていく。
「止観」はそういう感じかな、と自分では捉えているようだ。

また、(止)の状態で、浮かび上がってきたことにフォーカスしていくことは、現実世界のテーマに焦点を当てるのと同じように思えるかもしれないが、対象は現実世界というより宇宙や意識の世界にあるような感覚。より至福感や感動などの深い感覚や、深い気付きに至ることもある。

あまり意識してなかったけれど、この2つを使い分けているようだ。

少し違うが、入浴時などに、意識を解放(リリース)した状態だと、
意識せずに、気になっていたことなどが自然に浮き上がってきて、
どうしたらいいかのアイデアなどが勝手に広がっていくことがある。

脈絡なくいろんな方向に広がっていくので、後半には最初の頃のアイデアを忘れてしまうこともある。
が、それを書き留めようとすると、途端に顕在意識が働き出して、しぼんでいってしまうので、扱いが難しい。

いずれも夢を見ているような半覚醒の感じで、現実世界に意識を戻すと、霧が晴れていくようにさっと消えていってしまう。

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