2023年2月15日水曜日

心のあり方が次の現実を生み出す

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。


心(意識)のあり方や状態が、次に起こる現実を生み出す。

引き寄せの法則とはこういうことなんだな、と思う。


しかし、日常の「そうではない捉え方の世界」に埋没すると、

その感覚は失われていく。


「起こるかもしれないマイナスな出来事」を憂慮し、

その防止のためにたくさん心配し、

対策案の違いから対立が生まれ、

その関係の苦しさから、負の感情が湧きだす。


それを繰り返していくと

ストレスや不満が満ちていき、

思考の大部分が自己防衛的に他者攻撃のパターンに陥っていく


抜け出せ!

そこからは何も生まれない。

いや、負のスパイラルにつながるものしか生まれない、というべきか。


不安や恐れ、焦りに起因して動き出したものからは、

良い結果は生まれない。


同じことを何度も繰り返している。

一歩進んで二歩下がるような感覚。


心の状態に意識を向けて、気をつけよう。

修正できる自分になろう!


関与先の組織支援を通して感じた想い。


2023年2月12日日曜日

心が疲れている

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。

精神が疲れている。心が疲れている。
肉体の疲れではない。疲労が抜けない。
このままでは続かない。

このところ、続けざまにお声掛けいただけるようになってきている。

嬉しい反面、1つ1つが重い案件ばかり。何とかお役に立ちたいが・・・。


もっと早い段階で動いてもらっていれば、ここまで重くならなかったのに、

と思う反面、

どうにもならなくなったからこそ声を掛けていただいた面もある。

最後に頼っていただける信頼関係があるのは嬉しい。


一方で、人生の歩みは、私が希望する通りに展開していくので

もし、休みたいと思えば、ゆっくり休める状況が生まれるだろう。

しかし、それでは、今生の密度が薄くなってしまう。


ただでさえ試行錯誤してきて、たくさんの回り道をしてきているので、

残りの人生は、もう少し密度濃く歩んでいきたい。


ゆっくり休みたいという思念が生じないように、内面の状態を整えていく必要がある。

そうなると、精神の疲れをどう解消しながら進めるか、が課題になる。


過去の重荷の感覚を引きずっているので、その感覚を切り替える流れを作ろう。


つながり満たされた多幸感を味わう時間をたっぷりとろう。

その切り替えが、円滑にできるように、内面を整えよう。


「~ねばならない」で動くことをやめて、

「~したい」と感じられる役割、行動の意味を創造しよう。


これを丁寧に重ねていくことができれば、

もう少し歩みやすくなるのかもしれない。

さぁ、早速チャレンジを始めよう!


2023年2月5日日曜日

時間ー人生と魂ー

つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。


時間を、いま生きている3次元空間の感覚で捉えると、全体像を把握できない。

肉体が滅して、霊体/魂の存在になったときの時間とは大きく異なるから。


魂は滅することがない。

肉体の生を終えた後、その人生のすべての歩みを見ることになる。

それは記憶・記録として観るのではなく、

実際の歩みを見ることになる


だからこそ、その場の感覚がリアルに感じられて、肉体があるとき以上に刺激を受ける。


これは何を意味するのか。

肉体の生を終えた魂は、自分の人生と共にある。

時間軸の概念が異なるため、魂から見ると同じように歩んでいる感覚はないだろう。

しかし、肉体を持つ立場の時間感覚としては、常にともにあるようなものだ。


誰かに見られている感覚がするとき、

見ているのは実は自分の魂だったということが起きているのかもしれない。


肉体の人生を終えた私(魂)に語り掛けると

心に返ってくるので、感覚的な対話が成り立つ。


自らの歩みを正し、改めることもできる。

いま生きている3次元空間の感覚では

その後の人生が変わるように感じるかもしれないが、

そうではない。


人の人生は常に選択の連続であり、

どの選択をしても、その先に起こることのテーマは決まっている。

起こり方の詳細は変わるかもしれないが、越えるべき向き合うテーマは決まっている。

自らが生まれてくるときに、持ってきたものだから。


守護霊といわれる存在の一つは、自分自身なのかもしれない。

そして、肉体はこの世界を生きる=味わい体験するための借り物。

使い終えたら、きちんと大地に返すもの。


<ここまでは、肉体を持つ立場を主体としての表現、ここからは魂を主体としてみてみる>


肉体の時間軸で見ると、大きな人生の時間の流れも

魂としてみると、一つのかたまりのようなもの


肉体の人生と共にあるときも、

あとから振り返るときも同じ軸にあるのかもしれない。


肉体を滅した魂から見ると、

自分自身の体験を味わいながら観ているようなもの

いわば自らの内での体験を味わっているといえる


もう少し補足すると、

「肉体が滅した」という捉え方自体が、肉体的な3次元空間の捉え方であり、

魂の存在からすると、常にそこにあるだけなので、

生まれてもいないし滅してもいないしていない。


これは、根源のエネルギー(神?)が

自らの内(多次元の全宇宙)で起こっていることを味わっていることと

フラクタル(相似形)な関係にあるようだ


聖書の創世記1章26節・27節にあるように、

神は自らの似姿として人を創造されたのかもしれない。


矛盾した潜在意識/苦しみや悲しみに寄り添う

 つながりと関わりの中に生かしていただいて、ありがとうございます。 今朝は朝から天気が良かったので、大きな神社まで約3Kmの早朝散歩。 歩きながら、そして立ち止まって、いろいろなことに想いが巡った。 ●矛盾した前提を抱える「私」 自分の中にある暗黙の前提に意識を向けてみると、いろ...